題名に惹かれて読み始めました〜!
あらすじ
1924年の春のある日曜日。その日はメイドたちに許された年に一度の里帰りの日。母親に会える日。ところがメイドのジェーンには母がいない。帰る家もない。ところがある一本の電話が鳴り、ジェーンは彼の家に行くことにするがーーー!?
読んでみて
「帰らない日曜日」という題名で映画化もされている今作。そして「最良の想像的文学作品」に与えられるホーソーンデン賞を受賞している。
日本では新潮クレスト・ブックスから出版されている。面白そうな外国作品が多いので最近好き。あんまり読めていないけど。以前に読んだウォーターダンサーもここから出ている。
本作はゆったりとしたペースで話が進む。長編ではなく中編であるため文量は決して多くはないのだけど満足感はある。
あらすじを読むと何かが起こることは分かっていたので何が起こるかハラハラしてしまって最初のゆったりとした独特な状況をあまり楽しめなかったのが残念。
恋愛小説というと俗っぽい感じになってしまうけれど、大筋は恋愛小説でありそして人生についてでもある。
ジェーンは22歳だったのだけれど、若々しさがあり、メイトであるけれどある意味何にでもなれる未来が広がっている。そんな自由さを感じながら自転車を漕ぐ姿などがとてもよかった。もちろんジェーンはメイドなのだけど、それでも未来は無限に広がっているし実際ジェーンは他の人とは違う人生を歩む。
読んでいて懐かしい気持ち、あの頃を懐かしむ気持ちが湧き出てきた。悲しいけれどジェーンの人生にとってとても大事な一日。ジェーンはこの日を決して忘れないし生涯持ち続けるのだけれど、私に果たしてそんな日はあるのだろうか、振り返ってみたり。
↓ネタバレあり↓
ジェーンは坊ちゃんとの恋愛に対して達観している。個人的にはそんなに身分違いかなあと感じる。日本に住んでいる私にはやはりあまり身分というのがよく分からない。しかも何百年前とかではなく、本当に少し前なのに。身分とか関係なく人と人なのになあと感じる。
だからジェーンが達観しているのはすごいと思いつつも、もっとお互いに一緒になることに頑張ろうとしないのだろうかとも感じてしまう。特に坊ちゃん。そういう関係と言えばそれまでだけど。お互い割り切ってることなのかもだけど。でもジェーンは別に完全に割り切ってるわけじゃないし。
それにこの関係ってもちろんジェーンも同意なのだけれどジェーン側が圧倒的に不利で坊ちゃんに有利なんだよね。身分差だけでなく男性に優位で女性には不利。「またの名をグレイス」でも「レ・ミゼラブル」でも妊娠した女性は窮地に立たされる。時代が違うのでこの時ほどひどくはなかったかもしれないけれど、仕事はクビになる可能性が高いしちゃんと勤めたと証明をくれなければ次の仕事もなかなか大変だろうし。
だからそういうことも含めて諦めているというか、我慢しているというか、受け入れているジェーンはすごいと思った。と同時にもっと大事にされてもいいのにと怒りも出てくる。
身分差がしっくりこないので、坊ちゃんが表のドアから招き入れてしかも奥様のような態度で接してくれるというのがどれくらいすごいことなのかはあまりピンとこなかった。
ただ読んでいるとやっぱり人は身分差じゃないのだと感じる。特に服を脱げば!
その後に人の家で裸になって歩き回るのはなかなか度胸がないとできない。誰もいないと分かってはいても。部屋を歩き回るシーンの時の図書館についての描写がすごくよかった。昔のお金持ちはみんな自分たちの図書館を作ったかと思うと羨ましすぎる。今でいうといいパソコンを買ってネット環境をすごくいいものにするという感じか?私もいつか自分の図書館を作りたいなあと妄想をしたり。
何が起こるのかとハラハラしすぎていたので、思っていたこととはちょっと違ったけれど、日曜日の午後の天気のいい日に自転車に乗りしがらみとはおさらばして自分は無敵のように感じるあの自由さ。そういう状況と全く違う状況になってしまう悲しさ。そして色々な意味で忘れることのできない一日になってしまう。
ジェーンが大学に行ったかのように見せて実は書店員だったというのもうまかった。やはりそこまではうまくいかない。でも彼女は賢かった。本当に。
年をとっていっても自由さの残るジェーンがよかった。作家になるなんて羨ましいな。
終わりに
映画もどんなふうになっているのか気になる。
そして他の作品のウォーターランドも読んでみたい。