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【川上未映子】夏物語

 

あらすじ

大阪の下町で生まれ、東京に住んでいる夏子。2008年の夏、姉・巻子と姪である緑子が遊びに来る。ところが緑子は筆談でしか話さなくなっておりー。

そして2016年の夏、夏子は精子を提供してもらうことで子どもを産もうと考えておりー。

 

読んでみて

物語の一部は以前に読んだことのある「乳と卵」と同じらしいことを聞いていたので、「冒頭読まなくてもいいかな〜。でも読んだのは結構前だし一応読んでおくか」と思って読んだところ!

いろいろと違う!

となったので読んでおいてよかったです。

文体がまず違うし、「乳と卵」よりも読みやすくなっているし、分かりやすく付け足されている部分も多いので夏物語はちゃんと最初から読んだ方がいい。

「乳と卵」のあの独特で強烈な文体も印象に残っているので、両方とも読むのがいいのではないだろうか?と思う。


作を読んでいると情景が目の前に浮かんでくる。体験したことがあることは自分の体験と一緒に実感できるし、体験したことないことであっても懐かしく感じられる。不思議だと思う。

夏子の葛藤は本当に心のままをそのまま書き出していて、すごく共感できる。こうだけれど〜こうでもあるし〜でもこうだし〜みたいに、悩みや考えが手に取るように分かる。その考え方の流れを丁寧に描写されているので違和感なく、自分が夏子になったかのように読める。


一部が「乳と卵」と重なる部分で第二部が完全に新しい物語となっている。「乳と卵」以降の夏子たちの様子が描かれる。

第一部では、緑子が大人になっていく成長過程においての葛藤にものすごく共感できた。親に本当はこう言いたいのに言えない、という部分も分かる。ツンケンしちゃうのもすごく分かる。

同じ年代の時は自分が成長していくのが気に食わないというか気持ち悪いのは自分だけだと思っていたけれど、大人になってから同じようなことを感じてる人は多かったのだと知る。胸が膨らんでくるのとかめちゃ嫌だったな〜。

自分だったものが、それまで当たり前に自分として理解していたものが変わるっていうのが嫌だったのだと思う。しかも自分が意図したわけではなく、自分が選んだタイミングではなく変わるっていうのが。

そういうことを思い出しながら読んでいました。

緑子と巻子が卵をぶつけ合うシーンは初めて読んだ時は衝撃的だった。緑子が絞り出すように巻子に言う場面で泣けてきてしまう。巻子は決してうまくないのだけれど緑子と向き合おうとしているところがとてもよかったし、そういう親がいることを羨ましく思ってしまった。


二部は夏子が子どもを産みたいという話が主となる。

でもその話しかしないわけではなくて、夏子の日常が描かれる中で子どもについても出てくる

AID という言葉の意味を初めて聞いた。AIDとは非配偶者間人工授精のことで、つまり配偶者以外から精子を提供してもらうことだ。病院でやっているところもあれば提供している団体もあれば個人でやっている人もいるらしい。


「会いたい」という思いが強い夏子だが、性交渉はできないし恋人もいない。でも年齢が年齢なため早く産まないといけないということでAIDという選択肢を選ぼうとする。

ただ、AIDで産まれた人々は、自分の父親が誰かという葛藤を抱えていた。

AIDというやり方で産んでもいいのか、配偶者以外とも性交渉して子どもができる場合もあるのだから何が違うのか、子どもにちゃんと説明すればいいのではないか…。

悩む夏子は、AIDで産まれた当事者である逢沢という男性と出会う。


これはどういう物語なのか、ということが途中までよく分からなかった。あらすじだけだといまいちどういう話でどうやって終わるのか想像しづらかった。

最初は逢沢さんがどういった立ち位置の人が分からなかったのだけれど、読んでいるうちに徐々に分かるようになってきた。


が一番印象に残っているのは善百合子だ。

彼女が体験したことは考えるだけでとても辛い。自動車の後部座席から見ていた空。生まれてきたことを肯定したら生きていけないという彼女。

確かに、子どもが欲しい思える人は生まれてきたことをよかったと思える人かもしれない。辛い経験をしてきた人だとしても、だからこそ自分の子には幸せを与えたい、いい家庭を作りたいと思って子どもを生むのだと思う。つまり、この世界に子どもを生んでも幸せにできると思っているから生む。

でも彼女はそうは思えない。この世は幸せになれる世界ではなかった。そして今もそうなのだろう。

 

生まれてきたらことを肯定したら生きていけないという気持ちをずっと考えてしまう。

 

全に主観だけれど、決していいとは言えない家庭環境で育ってきたの場合、女性よりも男性の方が自分が辛かったからこそ温かい家庭を持ちたい思うことが多い気がする。私も理想的ではない家庭環境で育っているけれど、自分が辛かったからこそいい家庭環境を作ろうとはあまり思えない。それは恐らく「大変だった母」に自分を投影しているからだと思う。男性の場合は「大変だった母」を見て育っても母に自分を投影することが少ないと思う。自分を同性に投影することが多いわけだし。結局のところ妊娠出産するのは女性なため、配偶者が頼れなくなった場合に割を食うのは自分だと思うと理想的な家庭を作れる!とはあまり思えない。もっと養育費がちゃんと支払われて妊娠育休中ももっと万全の支援が受けれたら違うと思うけど。


は今のところ夏子のように「会いたい」「生みたい」と感じることはないため、その辺りはあまり共感できなかった。

そう思う日がいつかくるのだろうか?会ったこともない人に会いたくなると思うのだろうか?

もう少し年齢を重ねて生むことができるタイムリミットが迫ってくるとそう感じるのだろうか?


夏子が子どもを生んで、子どもを育てる。そしてその時の思い出がいつかその子が大人になった時に生きる糧になるのだろうと感じる。

夏子がコミばあのことを思い出して、懐かしんでいるように。

そして夏子を育ててくれたコミばあの子どもが夏子の母で、母の子どもが夏子で、そして夏子の子どもが新しい子で。

その子はもうコミばあとも祖母とも会えないのだけれど、でも2人とどこかで繋がっているのだろうなと思う。それは夏子を通してだし、その子自身としても。

 

そういう流れ。血縁というのはよい面もあればよくない面もあるのであまり好きではないのだけれど、そういう流れはすごいなと思ってしまう。

問答無用でつながっているというか。生まれた瞬間から位置付けられるというか。嫌だと思っても変えられないというか。

それだけ強力だからこそ安心できる面もあるけど逃れられない面もある。

でも血縁じゃなきゃだめなのだろうか、とも思う。確かに「会いたい」という夏子の思いは「自分の子ども」という部分が大事なのだとは思うけど、血縁じゃなくても夏子が育てることでコミばあとは繋がれるようにも思う。

でも既に存在している人だと夏子の言う「会いたい」というのとは違うのだろうな。


佐の性格が私にはとても眩しかった。我が道を行き自分の考えがあってはっきりと意見が言えて子どもや友達を大事にできる人。シングルマザーでも仕事をバリバリこなして自立している。憧れの女性だと思う。

仙川さんのことは複雑だった。出産することで女性同士が対立してしまうのは悲しい。子どもを生むからと言って仕事蔑ろにしているわけではないし、悪いことではないと思う。だって男性にならそんなこと言わないじゃん?

でも仙川さんの気持ちもすごく分かってしまったから辛かった。みんながみんな子どもを産むことが大事、それが正解みたいな価値観だとそれを選ばなかった自分が不正解だと感じてしまうよね。

すごく強くあろうとした女性。だから病気のことは誰にも言えなかった。遊佐みたいに自分をさらけ出したりはできない。そうしないことで頑張ってきたから。でもそういう人からみるとさらけ出せる人ってすごく眩しく映ると思う。


どもを生むか生まないか、多くの女性が悩むことだと思う。

結婚して子どもを生んで幸せな家庭を作ることが理想、みたいなね。生むか生まないかだったらそりゃ生んだほうがいいだろう、みたいな。

でも善百合子の言葉が心に刺さる。

でも自分の子どもがぜったいに苦しまずにすむ唯一の方法っていうのは、その子を存在させないことなんじゃないの。生まれないでいさせてあげることだったんじゃないの

以前に観ていたドラマで、この世には不幸な子どもがたくさんいてこの世は混沌しているのに、さらにそこに自分の子どもを生むなんてひどい的なことを言っていて、その考えも分からないことはないと思う。まあでも「自分の子どもが欲しい」と思う人を否定することはできないし、世界中の子どもが幸せになれないと子どもを生めないってことでもないから。

 

物語だから夏の描写が多い。冬〜春の時期に読んでいたからか夏の描写を読むと夏が懐かしくなってきた

毎年のように夏が来て冬が来るのって不思議。その時の匂いとか風の感じとか太陽の照り具合だとかそういうのをちゃんと身体が覚えているのも不思議。そして思い出すととても懐かしい気持ちになる。毎年夏は来るのにね。


書を読んでいると、なんだか辛い気持ちなることが多かった。見て見ぬふりをしていた部分を見せられているような、考えたくなかったことに気づかされているような。

普段は考えないようにしていること、人は生きてそして死ぬこと、人が生まれること、仕事をすること、人と関わること、生きるということ。

夏子は精一杯生きていて、もう過ぎ去ってしまった昔のことを思い出したり、今できることを頑張ったり、未来のために行動したりする。そしてそれらを考えている今でさえすぐに過ぎ去っていく。


んでいてすごく楽しくなるような小説ではないけれど、夏子の人生を夏子と一緒に少しだけ歩み、考えて、迷って、後悔して、人と関わって、決断して。そうやって生きていくことを味わわせてもらった、思い出させてもらったように感じる。

あんまり頻繁には読みたくなけれど、節目にまた読みたい本だと思う。夏子と近い年齢になったらまた読みたい。

 

して第一部と第二部の緑子の変わりよう!

楽しそうで幸せそうでよかった。大人になったのね。

でも思春期のあの時代の苦しみは本当にあったものだから、そこでどれだけちゃんと寄り添ってもらえるかっていうのが本当に大事なのだろうな。