辻村先生の作品をまたまた読んでみました〜。
一言で言うと…
暗い
怖い
辛い
作品でした。
あらすじ
「私を殺してほしいの」中学2年生のアンは、同じクラスの男子学生・徳川にそう頼んだがー?!
読んでみて
この作品を主人公と同じくらいの子たちが読むのは影響を受けすぎないか心配してしまう。
私は辻村先生の作品を何冊か読んでいるし、子どもが主人公の作品だから最後は悪いようにはならないと分かってはいたのだけれど、それでもどうなるのかとハラハラしていた。
4/5くらいが死にたい話、殺されたい話で最後の最後で物語が動く。
本当に最後の最後で。
展開が急なので、そのまま主人公たちに共感して考えが変わってくれるといいけども…。
3/5くらいにして欲しかったな〜という希望。
もうちょっと主人公たちの変化を緩やかに感じたかった。
けっこう生々しい話とか、エグい話が出てくるので、読むのが辛い。
それにとにかく細かく描写されているので。
表紙からするともっとポップな感じだと思っていたのに…。
主人公たちに共感していると、どんどん選択肢がなくなっていくのが分かる。
学校で居場所がないということは、世界で居場所がないというのと同じこと。
本当は違うんだけどね。
でもそう思ってしまう気持ちも痛いほど分かる。
大人は世界の広さを知っているけれど、子どもたちはまだ知らない。
目の前の世界に適応できなかったとしても、他の場所は無数にあって、そこに行くことはそんなに難しくないのに。
アンが成長した後に、馬鹿にしていたお母さんが実はいい食器を使っていた、というが象徴的。
中学生って大人から見たら子どもだけれど、本人たちから見たらそれなりに大人だと思っている。
アンが中学生の頃に思ったり考えたりしたことは事実だけれど、やはり中学生のアンが見た世界ではあるんだよね。
一つの見方しか知らなかったのに、自分は全て知っていると思ってしまう。
純粋だと思う。
母のことも、自分が見ている親の面が全てだと思ってしまう。
でも実はそんなことない。
母の子どもの頃、若い頃、働いている頃、父と恋人関係だった頃…などなどそれぞれの側面があるはず。
でもアンからしたら母は母でしかない。
でも本当は一つの面からしか見えないものなんてなくて、色々な方向から見ることができる。
正解や不正解なんてない。
ある面があるのも、それとは違う面があるのも一人の人だから。
最後は二人は離れた方がいいように思うけども〜と思ってしまった。
でもこのラストだからこそ、クラスという小さな世界から抜け出してお互いが人として付き合うことができる始まりでもあるのだろうけどもね。
色々と考えさせられる作品でした。
子どもたちが主人公だから仕方ないとは言え、周囲の大人が誰も気づいてあげないのは悲しかった。
でもこれがリアルなのかな。
信頼できる大人がいるだけでも全然違うと思うから、信頼できる大人が増えるといいな。