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【上橋菜穂子】月の森に、カミよ眠れ

上橋菜穂子月の森に、カミよ眠れ

精霊の木」に続く上橋菜穂子さんの2作目。まだまだ若い!と感じる作品だったー!狩から稲作へと移ろっていく時代が背景にあるから、たつみや章さんや荻原規子さんの作品を思い出しながら読んだよ。

月の森に、カミよ眠れ (偕成社文庫)

月の森に、カミよ眠れ (偕成社文庫)

 

あらすじ

カミの血を半分ずつ受け継ぐナガタチは、ある村のカミを倒すことになる。その村で巫女として生きるキシメは、カミであるタヤタと幼なじみとして育っていたが、村のものたちは稲作を行うためにカミを倒そうとしていた。カミと人がまだ近くにいた時代。少しずつ環境が変わり始めるなかで、人とカミとの関係も変わっていく。その狭間にいる3人の物語


読んでみて

デビュー作の精霊の木と比べると全体的に両価的な感じがしたのが今作!精霊の木では、善悪、正解不正解みたいなのを色濃く感じたんだよね。

精霊の守り人シリーズとかでは主人公たちからみた敵側、対立する側にも考えがあって人生があって文化があってっていうのが割と丁寧に描かれていて、敵を倒すということはその人間の人生を奪うこと、ということがメッセージとしてしっかりとあった。もちろん読者は主人公たちを応援するのだけど、敵を倒せば万事オッケーではなく、主人公たちの葛藤はもちろんあるし、バルサは倒した相手のことをずっと抱えて生きていくしかない

上橋菜穂子の作品は多角的な視点を教えてくれるものが多い。つまり単純に0か100かではなくて、人間である以上葛藤して生きているし、正解不正解なんてなくて、その時の最善を尽くすしかないし、将来になったら最善の選択をしたとしても問題になるかもしれない、ということを教えてくれる。なんともあやふやで曖昧だけれど、そういう曖昧な世界で私たちが生きているんだってことを思い出させてくれる

精霊の木がとても真っ直ぐある意味理想を描いていたとしたら、今作はもっと現実の人間らしさを描いているのだと思う。

主人公であるキシメはずっと悩んでいる。悩むのは仕方ないし、タヤタを殺そうとするのも人間の世界からみると正しいことのように感じる。でもそれって結局画一的な考えしかしてないし、もっと大きな枠組み、未来を見据えてはいない

これははるか昔の世界を描いていながらも、今の時代にもとても当てはまると思う。森をなくす、自然をなくす、そうしないと生きていけないから仕方ない、でも長い目で見るとそのことで人間が滅びていくかもしれない。遠い目で見ると正しいけれど、今を生きてる私たちにとっては実感できないし、今の暮らしの方が当たり前に感じてしまう。だからこそカミが必要なのかと思ったりもする。人間は今しか考えられない。せいぜい自分の子ども世代くらいまで。でもカミは不死だからもっと先まで考えられる。ヒトが考えられないはるか先まで。だからこそカミが言うことは正しいのだけれど、今を生きるのに必死なヒトには残虐に映る。カミは個の命よりも全体をみてるからね。

また、稲作へと時代が変わっていくのだけど、支配しようとする側は私たちの祖先だってことが心に残る。もちろんキシメたちの血もあるかもしれないけれど、朝廷を作って支配しようとして元々あった文化を破壊した文明の先に私たちが生きているというのはまぎれもない真実だと思う。支配する支配されるという関係性は海外で起こった出来事の方が私たちには身近なものだと思っていた。ネイティブ・アメリカンとかアボリジニとか。でも確実のこの日本でも文化が淘汰され、混ざり合いつつも新たな文化が芽生え、ということを繰り返してきたはず。単一民族じゃないんだなぁってことをすごく実感した。名もない人たち、文化、暮らし、そういったものは必ずあって苦しんできた人たちがいたんだなぁと思いを馳せる。はるか昔の暮らしを想起させてくれた物語だった

タヤタは報われないよな、と思ってしまうけれどそういう価値観ではないのかもしれない。キシメはタヤタに飛び込めなかったことを後悔しているのだろうか、と思ったり。ナガタチと歩んだ人生はどうだったのだろう、と考えたり。カミと人でなければ幸せに生きられたのかなー。もう少し時代が違ってればよかったのかも。タヤタとは生きられずナガタチと生きたというのがなんともいえないよね

あと最後に昔語りで終わったのがよかったー!キシメとタヤタの結末はハッピーエンドとは言えなかったけれど2人の想いが物語として今後も伝わっていったら嬉しいと思う!