文学系心理士の自己投資ブログ

文学系心理士が好きなことを徒然なるままに書きまくるブログ。小説、NETFLIX、たまに真理のことも?!

【宮部みゆき】ばんば憑き

宮部みゆきばんば憑き

江戸ものばかりを集めた宮部みゆきの短編集6編がそれぞれお良い味を出していて、永遠に読みたくなる。「日暮らし」の政五郎とおでこ、「あんじゅう」の青野利一郎、お馴染みの面々が登場する短編もあって顔が綻んでしまう。ちょっと不思議で、ちょっと鳥肌がたって、ちょっと物思いに耽る物語たちが愛おしいなあ。

 

ばんば憑き     

ばんば憑き    

 
ばんば憑き (新人物ノベルス)

ばんば憑き (新人物ノベルス)

 

あらすじ

ばんば」というのは強い恨みの念を抱いた亡者のことでございます……

湯治旅の帰り道若夫婦は雨で宿に足止めをされてしまう。1人の老女と相部屋になるが、若妻は不機嫌になり、婿養子の夫が機嫌を取ることに。夜半時、老女五十年前忌まわしい出来事を語り出すーーー。


読んでみて

色々思いが巡る物語だった。老女であるお松八重だったのかお由だったのかーーー。多重人格なのかなあ、とも思う。だって「ばんば憑き」のやり方、水に溺れたようにする心の臓の近くを打つ、そういう極限状態に置くことで、自分を自分じゃなくして、違う人間、人格作り出しているんじゃないだろうか?人間はひどい極限状態に陥った時には、自分を自分じゃなくすることで自分を守る。お由に起こったことも自分の身を守るためのことだったのではないだろうか。それにお由の場合は、自分は富治郎と相思相愛だと思い込んでいたわけで、八重を殺してしまった時に富治郎が自分を愛していなかったことを突きつけられてしまった。にも関わらず八重は死んで自分は人殺しになってしまった。そんなこと認めたくなかったんだろうな、と思う。自分の心を守るために、自分じゃなくなる。そしてそれを周りがお膳立てしてくれる。他人に成り代わって生きるのは辛いし酷いけれど、自分として自分の人生を行きたくない場合には願ってもないことなのではないだろうか。だってみんなも自分ではなく違う人間を待ち望んでいる。そして自分も自分に嫌気がさして自分じゃない人間になりたいと思っている。そういういくつかの要素が揃った時に本当に「ばんば憑き」が起こるのではないだろうか。人の手で起こすことができるのではないだろうか。

多分もっと我が強い人間だったり、意地汚い人間だったらそうはならなかったような気がする。お由は人殺しだけれど、でも元々はただのわがままな女性、まだ少女と言っても良いかもしれない年齢であり、世間を知らず自分を知らずなんでも思い通りにできると思っている赤子のような少女。自分のしたことにも責任を取れず直視することもできず、周りの対応にとまどい、今までの安寧とした生活からも離されて、自分じゃどうすることもできない。そんな中、自分じゃない何かになれるとしたら。むしろそう周りが望んでいるとしたら。願ってもないことだと思う。それにお由にとって八重になるということは、八重が生きている、ということ。つまり八重を殺していないということ。八重は生きて人殺しであるお由が死ぬということ。起こしてしまった悲劇をないものにできるなんて、なんて良いだろう。でもそれには代償があったのだ。

なんて残酷だろう。五十年もの間、自分が誰であったのか自分ですら正しく認識していなかったなんて。良い人生であればあるほどその事実を知った時に全てが覆される。自分だと思っていた者は自分ではなくて、自分は忌むべき存在だったとしたら?自分は被害者ではなくて、加害者だったとしたら?自分を自分たらしめていたものが間違っていたとしたら?老女が感じた絶望はどれほどのものだったのだろうか。

それに興味深いことに老女は何重にも自分を偽っている。お由八重お松。その時々で、本当にその人物であったのだと思う。それは演技とかではなくて、そうやって生きてきたのだと思う。そして長いことお松として、被害者でもなく、辛い過去なども持っていないただのお松として生きてきた。それがどれだけ幸せだったのか。ここまできたのならそうやって死ねたらよかったのに。解けなければよかったのに。でも人の心はコントロールなんてできない。むしろ今まで解けなかったことの方がすごいことだったのかもしれない。本当の八重に比べたら、お松は人生を歩めただけでよかったのかもしれない。でも本当にそうなのか?偽りの人生なら歩まない方が良かったのか…。

お由が自殺したのはどんな理由からだったのかも謎だ。己の罪を赦せなかったのか、それとも忘れてしまっていたことを悔いているのか、自分の人生がすべて偽りだったからなのか…。お由にしか分からないけれど、声音が変わってしまった時点で、もはや八重でもお松でもなくなってしまったのだろう。だから自殺する選択肢しか残されていなかったのかもしれない。なにしろお由は五十年前にいなくなってしまったのだから…。

老女の話と最期も薄気味悪いものがあったが、話を聴いた婿養子の佐一郎へ及ぼした影響も怖いものがある。見た目はそのままに、中身が愛しい者のになり得るなら、これ程嬉しいことはないだろう。果たして佐一郎は本当に「ばんば憑き」をやるのだろうか。それとも「ばんば憑き」をやれるかもしれない、という思いだけで生きていけるのだろうか…。本当に「ばんば憑き」をやって幸せになるのだろうか。一体誰のためにやるのだろうか…。

人生や自分自身のことを考えさせられた物語だった。なんとも悲しくなるような、むごい話だと思う。お由も人殺しとして五十年生きていたらまた心境も変わってたはずなのにね。その人の人生を奪うって、命を絶つのももちろん酷いけれど、その人じゃなくしてしまう、というのも酷いかも。

桜ほうさら」にも似たようなことがあったけど、あれば名前や家を変えるだけで自分は自分だと分かってるからね。周りだけではなくて、自分も自分だと分からなくなってしまうのは怖い。

短編にも関わらず、すごく色々と考えさせられる物語だった。こういうのがやっぱ好きだなあ。

他の5編はまた次の機会に。