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文学系心理士が好きなことを徒然なるままに書きまくるブログ。小説、NETFLIX、たまに心理学のことも♪

アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝

kindleで表紙を見かけた時に「41歳、大学を卒業し、50歳で心理学博士に。93歳、現役の臨床心理士として、人を癒し、人生を愛し、踊る!」と書かれていて、アウシュヴィッツを生き延びた後に心理士になって今も現役なんて!とすごく興味を持った。

前半は彼女自身の人生について。アウシュヴィッツに行くことになり、なんとか解放されるがトラウマが残る。だが当時はトラウマという言葉も周知されておらず必死に生きて心理士になる。そしてそこからは自分と同じようにトラウマに悩む患者や自分自身のトラウマについて考察してあってとても勉強になった。

自分のことをこんなに客観的に内省できるなんて本当にすごい。

 

幼少期から

始まりは幼少期から。両親と姉2人の3人家族。こういった物語だと元々はとても幸せだった、素敵な家庭だった、となるのかもしれない。でも現実には幸せな家庭なんてそうそうない。当たり前だけど。

私の祖父母世代の子ども時代。そしてその両親たち。今よりも貧しくて今よりも大変だった時代。母も父ももし可能なら違う人生を歩みたいと思っていたがそれが難しかった。そして母はその母との葛藤があり、子どもたちに大きな期待もしていて姉妹それぞれに家庭での役割があった。まあでも現代にもあるような普通の家庭だったのだと思う。人生全てがうまくいくことばかりではなくて、でも今の家庭も大切で。

心理士になってからの自分自身の家庭への考察もさすがだと思う。

 

アウシュヴィッツ

著者は当時は知らなかったようだが、実はアメリカ行きの切符があったけれど断ったという場面が出てくる。後からだとどうとでも言えるけれど悔やんでしまうよね。ただ全てを捨てて出ていくなんて早々できないことだから。

母と姉と一緒に列に並ばせられる。そこで著者は生涯悩むことになる一言を口にしてしまう。指揮者のように指を振っていたのは「ヨーゼフ・メンゲレ博士」だったそうだ。私は詳しく知らなかったのだが医師にも関わらず大勢を殺した人物だったそうだ。彼の指の一振りで大勢の人の生死が決められた。著者の母もーーー。

 

少女の戦い

著者は国の代表となるほどのバレエ選手だった。彼女はメンゲレ博士の前でバレエを踊りパンをもらう。そして違う日にはシャワー室から連れて行かれる。ただ、彼女はそこから奇跡的に逃げ出すことができる。

辛いアウシュヴィッツ生活。他の収容所に移送される時も病気になった時もアメリカ兵に助け出された後も。とにかく困難が待ち受ける。でもなんとか生き延びることができる。

彼女には生き延びたいと願う糧があって、それは「エリック」というボーイフレンドだった。彼に生きて会いたい!その思いが彼女の希望だった。その希望。本当にまだ少女だったのだな。

そして姉の存在。お互いを支え合いながら二人とも生き延びた奇跡。二人だからこそ頑張れた。相手を守るために自分も頑張れた。

 

戦後に

多くの戦争の本は戦争が終わるところで終わってしまうことが多いと思う。平和になったから、と。でもトラウマは終わらない。

希望を見いだせなかったアウシュヴィッツでは自殺したいとは思わなかった。日々、そんなことを言う人たちに囲まれていたのに。「ここを出るには、死体になるしかないんだ」しかし、その不吉な予言は私に闘う相手をくれた。今、私は健康を取り戻しつつある。今、私は、両親は二度と戻らない、エリックは二度と戻らないという覆せない事実に向き合っている。そんな私の唯一の悪魔は自分の中にいる。自らの命を絶つという考えが頭に浮かぶ。私は苦しみから逃れたいのだ。死ぬことを選んでもいいのではないか?

 

いつ死ぬか分からない恐怖、そんな極限状態で人は生きようとする。でも一旦その極限状態を抜けると今度はなんのために生きるのか分からなくなってしまう。例え自分の命は無事でも家族も財産も無くしてしまって、また最初から努力し続けないといけないなんて大変すぎる。そもそも戦後は悲しむ余裕すらない。

戦後にトラウマで辛い体験をした人は多かったのだと思う。生きるためには必死にならざるを得なくて高齢になってから表面化してきて。トラウマに蓋をしないと生き延びれなかった時代だったのだな。

 

結婚そしてアメリカへ

戦後しばらくして著者は結婚する。エリックはいないけれど。他の男性と。急いで結婚したような印象を受け、実際に後から著者もそう回想している。でも結婚後、国を追われ苦渋の決断の末アメリカに行くことにする。本当に波瀾万丈だ。

結婚生活についても率直に書いてあってすごく幸せだったわけではなく、一度離婚してしまう。でもまたしばらくして元の夫と再婚するのだけどね。彼女の自立の物語なのだなと読んでいて感じる。

 

解放後も手探りで生きる。

消極的でいれば、他の人に自分のことを決められてしまう。積極的でいれば、他の人のことをこちらが決められる。自己主張すれば、自分で自分のことを決められる。そうすれば、なんの不足もない、自分は満ち足りていると思えるのだ。

 

彼女は解放後もアウシュヴィッツの夢を見るし当時のことが忘れられないし生活に支障が出ることもある。でもそれがトラウマであるということは分からない。というか当時はそんなことみんな知らなかったから。だから何か問題があるとは思いつつも向き合えず、自分の人生を生きることで精一杯だった。

なにしろ言語が違うアメリカに来て移民としてまた1からやり直して子どもも育ててと大変だったのだから。

 

恐怖は隠しつづければ、大きくなるだけだと気づいていない。与え、なだめる――そして自分を偽る――という私の癖が、自分たちの状況を悪くしているだけだと私は気づいていない。

 

彼女が収容所について触れられパニックになる様子が印象に残っている。些細なことでもトラウマに触れられるとコントロールができなくなってしまう状況だった。そんな彼女が長い年月をかけてトラウマに向き合っていく。

 

V.E.フランクルとの出会い

大学でESLのクラスを取り、その後心理学の勉強を続ける著者。

そして夫・ベーラとの関係も内省し始める。

私は戦争に子ども時代を奪われ、死の収容所に思春期を奪われ、けっして振り向くなという強迫観念に青年期を奪われた。そして、自分の母の死を悼む前に自分が母親になった。あまりに早く、あまりに急いで完全なものになろうとした。私が否定を選んだこと、自分自身を、記憶を、本当の意見を、経験したことをつねに隠しつづけたことは、ベーラの落ち度ではなかった。私は彼にも隠していたのだ。それなのに今、私は自分の行き詰まりを長引かせた責任を彼に押しつけていた。

 

本気で人生をよりよいものにするつもりなら、変えるべきはベーラでも私たちの関係でもない。変えるべきは私なのだ。

 

ある時ヴィクトール・フランクルから手紙が届く。彼女は「ヴィクトール・フランクルと私」というエッセーを書いていて、その出版物を彼が見て連絡してきたのだった。

フランクルが出てきた時は本当にすごい!と思った。あのフランクルだよ?でもこの人自身も相当にすごいから。二人ともすごいし二人が交流を持ち続けたというのを知ってすごく嬉しくなった。

ただ、著者にとってはやっと自分の過去について書くことができた初の試みで、トラウマ治療は始まったばかり。

 

心理士へ

「大学を終えるときには五十歳になっています」彼は私に微笑む。「どのみち、あなたは五十歳になりますよ」と彼が言った。

このエピソードが心に残っている。大人になってから学位を取ろうとする人の多くは著者と同じような心持ちの方が多いような気がする。でも結局のところ何をしても何もしなくても歳を取るんだし、私もこの心持ちで生きたいと思う。

そして彼女は修士、博士号を取得する。セリグマンやエリスやロジャーズたちも出てきてなんだか嬉しくなる。でも彼女はどれか一人の説を盲信するのではなく自分で考えて試行錯誤していく。

カウンセリングのやり取りも載っていて、私だったらしないな、ちょっとやるのは怖いな、個人的すぎるな、と思う部分もあった。でも彼女はそのやり方でうまくいっていてそれが彼女のやり方なんだと思う。自分は真似できないけれど、カウンセリングのやり取りはすごい勉強になったし興味深かった。

それは「あなたは……と言いましたね」と「もっと話してください」というものだ。さらに患者のボディランゲージの読み取り方と、自分の体を使って無条件の愛と受容を伝える方法も学んだ。たとえば、私は腕や脚を組まない――しかし、心を開く。目を合わせ、身を乗り出し、自分と患者の間に橋を架ける。そうすることで患者は私が全身全霊を傾けているとわかる。私は全面的受容を示すために患者の状態を模倣する(患者が静かに座っていたければ、私も静かに座る。患者が怒り、叫び声を上げたいなら、私も一緒に叫び声を上げる。使う言葉も患者の言葉に合わせる)。さらに私は成長と癒やしを後押しできるような存在を体現する(息遣い、話の始め方、動き方、聞き方)。

叫び声はすごい!


表題にあるCHOICEについて説明している箇所がある。

自由とは CHOICE――共感( Compassion)、ユーモア( Humor)、楽観主義( Optimism)、直観( Intuition)、好奇心( Curiosity)、自己表現( self-Expression)を選択することだから。さらに、自由でいるとは、現在に生きること。過去に捕らわれ、「ここではなく、あそこに行っていれば……」、「別の人と結婚していれば……」などと言っているなら、その人は自分が作った監獄の中で生きている。未来にばかり目を向け、「卒業するまで幸福になれない……」「ぴったりの相手を見つけないかぎり、幸せになれない」と言っていても、やはり同じだ。選択の自由を行使できる唯一の場所は現在なのだ。


そして彼女は何十年ぶりにアウシュヴィッツに戻ることを決意する。この辺りは本当に難しくて。本書にもアウシュヴィッツに行ったことで悪化して亡くなってしまった人もいたと書かれている。なかなか難しいと思うけれど、彼女は自分で行くことを決めて自分で行って、そして過去と自分自身に向き合う。自分が母をガス室送りにしてしまったのではないかという思いにも。

 

トラウマについて

人は被害者意識を育てる――すると考え方やその人自身が、かたくなで、非難めいて、悲観的で、過去に囚われ、不寛容で、報復を求めるようになり、健全な限界や境界線を持てなくなる。被害者意識の監獄を選んだとき、人は自分自身の看守となってしまうのだ。

 

もうひとつ私が伝えたいのは、苦しみに序列はないことだ。私の痛みをあなたの痛みより強くするものも、弱くするものもありはしない。ひとつの悲しみを別の悲しみと比べ、その相対的な重要性を表せるようなグラフなどない。(中略)自分の痛みを軽く見たり、人生の試練を前に途方に暮れたこと、人を遠ざけたこと、怯えたことで自分自身を責めたりしているなら、その試練が他の誰かから見れば、どんなに微々たるものであろうと、あなたは被害者でいることを選んでいる。選択肢があることに気づいていない。自分自身を批判しているだけだ。私の物語を聞いた人に、「私の苦しみなど大したものではない」と言ってほしくない。私の物語を聞いた人にはこう言ってほしい。「彼女にできるのなら、私にもできる!」

 

けれども、どんな災難が降りかかろうと、自由になること、過去を手放すこと、可能性を抱きしめることを選べる。私があなたに勧めるのは、自由になる選択をすることだ。

 

許すとは――起こったこと、起こらなかったことを――嘆き悲しむことであり、別の過去を求めるのをあきらめること。人生を過去のままに、現在のままに受け入れること。

 

もしかすると、癒えるとは傷跡を消すことでも、傷を傷跡にすることでもないのかもしれない。癒えるとは、傷を慈しむことなのだ。

 

それは、自分自身をあるがままに、欠陥のある人間として受け入れる選択。私自身の幸福に責任をもつ選択。私の間違いを許し、潔白を取り戻すために。(中略)ついに、やっと、過去から逃げることをやめるために。過去を償うためにできるかぎりのことをし、過去を手放すために。私にできる選択は、誰にでもできること。私に過去を変えることはけっしてできない。けれども、私が救える人生はある。それは私の人生。現在、私が生きている人生。この貴重な瞬間のことだ。


彼女のトラウマについての考えは本の色々な箇所で書かれている。「過去と向き合い」、「被害者でいないこと」、「自分自身で変わろうとすること」だ。また、「自分の感情と向き合うこと」も。アウシュヴィッツにいた方が言うと本当に説得力がある。

でもすごく難しいことだ。

上記でも引用したように苦しみに序列はない。その人の苦しみはその人にしか分からない。

心理士をやっていると本当に理不尽な状況に遭う人が多くて本当に辛くなる。もちろん辛い経験をしてすぐには著者が言うことはできないと思う。すぐは危険だし無理やりするのも危険だ。著者も何十年かかってたどりついているから。

心理士であることを言うと心が読めるんでしょ?と言われることがある。なんだか魔術的な感じな印象があるみたい。でも実際は手助けをするだけで、人の気持ちを魔法のようにあてたり変えたりすることはできない。無意識下では変わりたくないと思っている人を変えることはできない。その辺りをうまく伝えて気づかせていって本当の問題に目を向けてもらうことくらいしかできない。

ただ、面接に来る人のほとんどは何かしら変わりたいと思っている人だと思う。そうじゃなかったら病院にも面接にも来ないはずだから。何かしら困っていてどうにかしたいと思っている。でも時折、意識下では全て周りが良くないと思っている人がいて(無意識下ではまた違ったりすると思うけれど)、そうすると自分は変わる必要がないと思っているので何か変化が起こるのが難しい。心理は魔法使いではないので魔法のように困っていることを改善することはできない。目の前のクライエントさんにしか関われないからそのクライエントさんが何も行動を起こさないと何もできない。周囲の環境が明らかに悪い場合でもその患者さんが自分で行動して辞めたり休職したり部署を異動させてもらったりと行動しないと難しかったりする(犯罪だったり自傷他害があれば別ですが)。もちろん手助けはできるけれど。そういう方でも少しずつ介入していくことで変化はある。通ってきてくれるのはやっぱり何か変わりたいからだと思う。

変わろうと思うことは大事だけれど、無理やり思うのはまた違う。最後の「感情と向き合うこと」も大事で、辛いことや悲しいことや怒りなんかをまず実感して吐き出す必要がある。感情を本当に感じることはすごく大変だし辛い。一人では難しいと思う。トラウマも著者のようにトラウマ自体に真っ向から向き合うのは危険だ。彼女は専門家だしずっと内省をした上だからこそだと思う。実際に作中でもアウシュヴィッツに行ってショックで心臓発作を起こしてしまった方のことが書かれていた。今で言う暴露療法でこれはかなり難しいので専門家の元以外ではやらない方がいい。私も暴露療法は難しくてできない。それに「過去のことに向き合う」のは言葉通りの意味ではなくてどちらかというとトラウマがあることに向き合うことなのかなと思う。なので実際に追体験したり思い出したりするのはまた違うかなと。著者はやっているけれどこれは著者だからこそだと思う。今はトラウマ自体を無理に思い出させない方がいいという考えが主流になっているので。

なので本質的なことを著者は伝えてくれているのだけれど、なかなか難しいと感じる。著者は心理士としても優秀だったみたいなので彼女の見てもらえた人は羨ましいなと思ったり。もちろん合う合わない人は絶対いると思いますが。

あと全体的にポジティブさがある。「自由とは CHOICE――共感( Compassion)、ユーモア( Humor)、楽観主義( Optimism)、直観( Intuition)、好奇心( Curiosity)、自己表現( self-Expression)を選択すること」と言っていて、ユーモアや楽観主義、好奇心を重要だと感じていることが分かる。彼女の集大成の本なのでやや達観しているところもある。もちろん葛藤は描かれているけれど。彼女が行き着いた考えが正解というわけでもないので。心については正解が分からないし正解はないことだから。レジリエンスを大事にしているような印象も受けました!

 

最後に

この辺りは心理士として役に立ちそうだなと思った。家族との面接は家族療法の考え方が入っていて興味深かった。

あなたの子ども時代が終わったのはいつですか?」私はよく患者にこうたずねる。

 

「あなたのいつもの一日について話してください。起床は何時ですか?」彼女は目を白黒させながらも質問に答えた。私はこんな調子でつづけた。時計付きラジオか、目覚まし時計を使っているか、それとも母親か父親が起こしに来るのか?  しばらくは布団をかぶったまま横になっているのが好きか、それともすぐにベッドから飛び起きるのか?  私はありふれた質問をすることで、エマの日常生活の感触をつかんだ――けれども、食べ物に関わる質問はしなかった。拒食症の患者にとって、生活の中で食べ物以外のものに目を向けるのはとてもむずかしい。(中略)私が質問することで試みていたのは、彼女に生活の他の部分に目を向けさせること、そして彼女の防御態勢を取り除くか、少なくとも和らげることだった。

 

「家族の一員になるために、あなたがもっていた入場チケットは何だったの?」

 

チームワークを利用して、共通の目標を達成すること。家の清掃が必要になれば、家族の各メンバーが年齢に応じた仕事をすること。家族で映画を観に行くときは、観る映画をみんなで選ぶか、交代で選ぶこと。家族を一台の車だと考えること。車は行くべき場所へ移動するために、すべての車輪がまとまり、ともに働いている――ひとつの車輪が支配しているわけでも、ひとつの車輪が総重量に耐えているわけでもない。

 

あなたの子ども時代が終わったのはいつですか?」私はよく患者にこうたずねる。

 

「私を助けてもらえないかしら」と私はやっと言った。乗り気でない患者、手強い相手にときどき使う対処法だ。患者の問題から気を逸らす。私が問題を抱えた者になる。患者の同情心に訴えるのだ。

 

私の備忘録的なまとめ的な感じになってしまいました。

もし心理士の方がこのブログを読んでいたらぜひ本書をオススメします。心理士ではない方も!「夜と霧」もフランクルが自分自身で分析していたけれど、今作は自分の人生を丸ごと分析しているので。本当にすごい。

私も自分自身をちゃんと内省します…。