【宮部みゆき】淋しい狩人
久しぶりに宮部みゆきを読んだよー!!ずーっと宮部みゆき制覇したいと思いながらもう2年目…。今年で全作品制覇したいな〜。
あらすじ
東京の下町にある古本屋。そこで雇われオーナーをしているイワさんと孫の稔はひょんなことから事件に巻き込まれていき?本がきっかけで起こる事件をイワさんと稔が解いていく物語。
読んでみて
大筋としては古本屋の雇われオーナー・イワさんと孫の稔が軸となって、6つの事件が短編として描かれていく。短編だけれどイワさんと稔は主軸なので、少しずつ2人の関係が変化していったりしておもしろい。書評でも同じように書かれていたけれど、内容としてはなかなか重い、ちょっと暗くなるテーマばかりなのだけど(殺人だからね)、さっぱり読めてくどくないのがよかった。私は年齢は違うけど孫側なので、祖父であるイワさんの気持ちを読みながら、うちの祖父もそんな感じに思ってたりするのかな、と感じたりしました笑。
「六月は名ばかりの夏」
美人なOLが突然尋ねてきて、いつかイワさんが追い払ったことのあるストーカーの顔をみて欲しいとやってくる。マジでストーカーを家にあげるとか、マジでやめた方が良いとどれだけ思ったか。まあ実際は色々思惑があったからなんだろうけど、ストーカーと会うのは誰かと一緒だとしてもやめましょう。本当に。
なんだかんだこれはけっこう残酷な話で、アガサ・クリスティーで金目的の殺人の話は慣れていたのだけど、でもこの場合は殺す必要あった?と思ってしまった。いつか相続するかもしれないんだしさ。今すぐ捕まらずに手に入るならってことなんだろうけど。ストーカーの男はかわいそうだけど自業自得な部分もあるよなあ。
「黙って逝った」
亡くなった父親の本棚には同じ本が300冊以上あったがー?もしかして父親は誰かを脅してたのでは?と疑う男性の物語。オチは最後の方ですんなり出てくる。書評にも書いてあったけれど、結局は現実的なオチ。でもちょっと夢があるというか…脅迫は良くないことだけど、つまらないと思っていた父親がそんなことをやっていたなんて?!と思ってちょっと尊敬を感じちゃったんだよね。息子も父親のことは退屈で大したことのない人間だと思いながら、実は自分も同じだったからこそ余計に忌避していたことが分かる。そりゃ自分の人生が充実していたら親の人生なんてどうでもいいよね。
でもそんな父親でも結婚できたのに自分はできそうにない、って感じていて、そういうのって年々ハードルが上がっているような気がする。昔は就職して結婚してマイホームを建てて一男一女を儲けて定年まで働いて老後を過ごすっていうのは「普通」だった。でも今はその「普通」ってかなり難しくなっている。選択肢が広がったのは良いことだけど、ひと昔前までは「普通」だったことが難しくてなっていて、一億総中流がもうなくなっていってるんだろうなと思う。60歳でリタイアしていたのが羨ましいよね。
「詫びない年月」
これは元の「謎」はそのままだけれど、ちょうど今は夏で、終戦記念日と重なっていたのでより色々考えさせられた。罪悪感はそうそう消えることはないし、心にしこりのように残る。それは年老いても癒えることはない。どんなことが起こったのかは分からないけれど、戦争がなかったら起こらなかったことなんだろうなと感じた。
今年も戦争についての番組とか色々観たけれど、「話したくない」「話したくなかった」って言う人が多くてそれぐらい壮絶な体験だったのだな、と感じた。もうちょっと若くて子どもの頃は、話したくなくても後世に伝えるべきなのに!って生意気にも思っていた。なんで伝えたくないのかをしっかり考えることができていなかった。でも今なら分かる。何年経とうが傷が癒えていないから。そもそも戦後の日本は傷が癒えるような何かをしたわけじゃない。今ならカウンセリングとかもあるけど当時はそんなものないし、しかもみんなが体験していて、とにかく一旦忘れて目の前の生活に集中するしかなかった。たぶん当時はそれでよかったのだと思う。でも癒されなかった傷はそのままでずっと心に残っていて…。
戦争は永遠にしないで欲しいし、誰も傷つかないで欲しいと切に願う。
「うそつき喇叭」
これは虐待の話なのだけど、題名にもなっている「うそつき喇叭」は出てくる本の名前で内容は戦争の話。いつでも卑怯者が残るという悲しい物語になっている。はだしのゲンでも同じようなことを書いていたのを思い出した。確かに戦争に駆り出されるのは弱い立場の人間だから生き残るのは戦争を支持していたような人間になるだろうし、そういう人間は状況によってのらりくらりと変えているから戦争が終わった後も生き残りやすいんだなあ、と。宮部みゆき自身は戦後の生まれだけれど色々と戦争について思うところがあるだと感じた。きっと親世代が戦争体験者だろうしね。
虐待自体は陰鬱だったけど、ちょっと突飛な部分もある。そんなひどい怪我なのに結局親は何も対処してないとか…ね。でも虐待を受ける子どもが加害者のことを口にできないのはその通りだと思う。子どもが近しい大人のことはなかなか糾弾できないんだよね。特にそういう優しい子を加害者側は狙うから。
「歪んだ鏡」
山本周五郎の「赤ひげ診療譚」という小説が出てくる。自信がないOLである由紀子が偶然にもこの本と出会って衝撃を受ける。
おえいは言う。「男なんてものは、いつか毀れちまう車のようなもんです」と。
「毀れちゃってから荷物を背負うくらいなら、初めっから自分で背負うほうがましです」
男に選ばれることに価値があると考えてきた由紀子を揺るがせた。
いったい、あたしは今まで、一人で立つということを考えたことがあっただろうか。
このおえいのように。自分で自分の生きる道を探すということを、一度でも真面目に考えてみたことがあったろうか。
私はこのおえいの言葉には由紀子のようにあまり衝撃を受けなかった。なんだかある意味当たり前のようなことを言っているように感じた。それはおえいの時代から、また由紀子の時代から未来に生まれたからかもしれない。この小説は平成9年に刊行されている。今から23年前だ。その当時と比べると今の方がずっと自由になったし、選択肢も増えたと思う。でも由紀子のように考えていた人が全くいなくなったわけでもなくて、細分化されただけのようには思うけど。でも他人の価値観を中心にして生きてきた由紀子には自分の人生で自分を主人公にするということを考えたことがなくて、そういう考え方があることは知っていても、本を読んで初めて実感できたんだなあと思う。そういうことって本を読んでると時折あるよね。その時の衝撃と言ったらない。だからそう思えるような本と出会えた由紀子は羨ましいなあと思うし、私もそういう本とどんどん出会いたい。同じ本でも時期が違うと感じ方も違うからいろんな本を読みたいなあと思う。
「淋しい狩人」
これが本の題名にもなっている短編。仲が良かったイワさんと稔の間に亀裂が入ってしまう。その原因が色恋というのもなんか呆気ないけどでも実際にはよくありそうで、さすが宮部みゆき!笑
物分かりが良くて気が利いて優しい孫もまだまだ子どもだから色恋となると分別がつかなくなってしまう。まあどっちかというと相手の方が悪いんだけどね。でもここで稔がすんなり引き下がってもそれは変だし、ちゃんと祖父であるイワさんに反抗できるのも大事だと思う。ちゃんと稔を育ててきたからこそ、稔は安心して反抗できるんだよね。イワさんからしたらハラハラだけど。
イワさんが稔の相手である年上の女性に言う言葉が素晴らしい。
「稔さんは、年齢よりもずっと大人だわ」
「しかし、子供であることにかわりはないんです。あなたも私くらいの年齢になると、嫌ってほどよくわかると思うが、人間てのは、どうやったって、本当の年齢より子供になったり大人になったりすることはできないようにできているんですよ。歳をとれば、それだけ老けるんです。若ければ、どう背伸びをしたって若いままなんです」
(中略)
「純粋に、あたしのこと、好きだって言ってくれてます」淑美は、抗議でもするのかのように声を張り上げた。「不純な動機で付き合ってるんじゃないわ」
「誰も不純だとは言うとらんですよ(中略)しかし、室田さん、あなたは稔とは違って、純粋ならなんでも正しくて、不純ならなんでもいけないんだと思うような子供ではないでしょう。わしらが案じているのも、そのへんのことなんです」
(中略)
「稔はあなたにとって、それくらい意味のある男の子なんでしょう。しかしね、室田淑美さん。あなたは大人だ。大人が、子供を逃げ場にしちゃあいけませんよ」
なんというか!完璧な意見だと思う!洋画とかを観ていると子ども(未成年)に対する恋愛関係は絶対にNOなのね。でも日本だとけっこうそのあたり曖昧だし、高校生はもうちゃんと考えてる!大人だ!みたいな意見もけっこうあったりするけど、年齢よりもずっと大人に見えても本当に大人にはなれないってことが問題なんだよね。
お互い本当に思い合ってればいい、本気ならいい、とかそういうことじゃなくって、子どもと大人では絶対的に力関係に差があることを理解すべきだし、「うそつき喇叭」でも虐待されていた男の子が加害者を告発できなかったように子どもは大人には逆らえないんだよね。大人になれば色んな対処(身近な人に言う、警察に言う、弁護士に言う、相談機関に相談するなど)があることが分かるし、対処しなければ良くなることがないってことが理解できるけど子どもはなかなかできない。簡単な脅しでも言うことを聞いちゃうし、未成年だと親がいないと相談するのは難しいし、子どもは親に知られたくないと思うから我慢しちゃう。例え、稔と淑美のようにお互い本気の純粋な気持ちだったとしても稔が成人するまではその力関係は変わらないんだよね。表面的には稔の方が上だったとしても根本は変わらない。そのことをイワさんは適格に相手に伝えているし、でも無理強いはしないようにしているし、すごいなあと思う。イワさんに言われてちゃんと自分を省みることができる淑美もそれなりにちゃんとしてると思うし、心のどこかでは気づいていたんだなと思う。
終わりに
久々に宮部みゆきの短編を読めてよかった!ただちょっと昔の作品を読むとよく思うんだけど、今の時代に合わないというか古いなと感じる箇所がある。仕方がないのだけども。そういう意味では時代ものはそういう時代の流れを感じなくて済むからいいんだよね。
最後の書評で「凡百のフェミニズム小説には太刀打ちできない深さとリアリティがある」と書いていて、宮部みゆきを絶賛しているのは分かるんだけど、そこでわざわざフェミニズムをおとす必要がある?と思ってしまう。まあそれも時代なのかな。私は宮部みゆきの本を読んでていて、すごく女性の苦しみに焦点をあてることが多い作家だと思っていて、それがフェミニズム小説になるのかそうじゃないかなんて意味あるの?と思ってしまう。考え方としてはフェミニズムだと思うし、むしろ今の時代にはそういう考えの方が当たり前では?と思ってしまう。
↓女性の美について描いているのはこちら。「歪んだ鏡」の由紀子と同じように他人の評価中心に生きて「美」に執着している女性たちを描く↓