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【宮部みゆき】黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続

宮部みゆき黒武御神火御殿 

三島屋変調百物語の6巻目!おちかから若旦那の富次郎に完全に変わったのが本作。悲しいことにおちかはほとんど出てこない...。おちかは他家にお嫁に行ってしまったから早々会えないらしい。悲しすぎる。けども富次郎もちょっとずつ成長していて、富次郎と一緒に成長できるのもそれはそれで嬉しい

↓他の作品はこちら↓

oljikotoushi.hatenablog.com

 

/>あらすじ

おちかに代わり新たな聞き手となった富次郎。評判になっている三島屋の百物語には語りたいと言う人が大勢来る。一人での聞き手に慣れない富次郎だが悩みながらも自分なりの「聞き手」を作っていくがーー?恐ろしくも愛おしい極めつきの怪異と不思議が4編

 

読んでみて

「泣きぼくろ」再会した友が語り始める一家離散の怖ろしい真相

1作品目は「泣きぼくろ」。まだ初めたばかりの富次郎に配慮して最初は富次郎の子どもの頃の友人が話に来る。内容としてはなかなか愛憎深まるもので、家族間での修羅場っていう物語。子どもの時にこんなことが起こったらトラウマものだけど、まだ幼かったこともあって修羅場の中にいた大人たちよりはまだマシになのかな。

結局どういう理由だったのかとか、なんだったのかとかは分からないまま終わってしまったけれど、それがより一層怖い感じがする。理由がないっていうのが一番怖いよね。災害みたいなものだからさ。

理由はどうであれ、ああいうことが起こっちゃうとなかなかみんな一緒にっていうのは難しいよね。たくさんいる家族を壊すには手っ取り早いやり方なんだろうな。なんだかんだこの話が一番怪異っぽくて怖かったなあ。

「姑の墓」村の女たちが<絶景の丘>に登ってはならない理由

富次郎の母親と同じぐらいの年頃お花が、子どもだった時の物語。桜が満開に咲く故郷。山の上から見下ろす桜はまさに絶景。にも関わらず、お花の家の女だけはそのお花見に参加することは許されなかったなんて理不尽な!と思ってしまうけれど、実は辛い出来事が隠されていて…。

まあオチは分かりやすいというか、どうなるかはなんとなく予想できるというか。昔から言われていることは言うことを聞かないと!って思う作品。でも年月が経つと薄れていってしまうんだよね。これは江戸時代の話だけど今だったらもういいのでは?と思ったりする。どうなんだろうね?ただ恨み辛みとしてはなんというか理不尽だなあと思う。なんでこんな理不尽なのか。お恵がムキになって登ろうとしたのも分かる。でも結局はみんな不幸になってしまって

↓この言葉は大事だよなあと思う

うちの姑と嫁は心して仲良く助け合う。もともとは姑だって嫁だったのだ。それを思い出すなら、なんも難しいことはない。

自分が姑になることになって怖くなったお花。でもその連鎖を断ち切ろうと富次郎は言葉をかける。この丘であったことは本当だとは思うけど、もう他家に嫁に行って、故郷からも離れているお花にまで起こることではないと思うし、そこまでは心の持ちようだと思う。どうしようもないこともあるけれど、でも心の持ちよう一つで良くなることもあるんだろうな。

「同行二人」妻子を失った走り飛脚が道中めぐりあう怪異

最初の見出しを読んだ時は色んな怪異の話かと思ったら、話としては一つだった。実際に起こったら一番怖いな、と思う。一人で歩いている(飛脚の場合は走っている)時にのっぺらぼうがいたら怖い。よくある怖い話だけど、だからこそ現実味があって怖い

だから亀一の反応はすごくリアルに感じた。でも途中で肝を据えて近づいて行ったりするのはさすがだなあ、と思う。最初は害のあるものなのかどうなのかよく分からなかったけれど、だんだん全貌が明かになってくると悲しくなったし、最終的には暖かい気持ちになる話だった。


のっぺらぼうについて来られて途方に暮れていた亀一を、飛脚の支配人は諭す

いいか、亀一。よく考えろ。ここはおまえさんの人生の峠越えだよ。

そこにはきっと理由ある。おまえさんでなけりゃならない理由が。ーそれを解してやろうとするのが、どんなお経よりもお祓いよりも効くはずだ。

長いごと飛脚稼業をやっていたら、いろんなものに行き偶う。いろんなものを拾うし、いろんなことを見聞きする。

ーーその全てが一期一会だ。たとえ相手が化け物であっても、この世のあっちからこっちまで駆け抜けるのが身上の飛脚が、袖ふり合った縁を無下にするな。どんと構えて男気を見せろや。

(中略)

俺は支配人に、化け物に取り殺されたらどうしようなんて言った。いつ死んだっていいと思っていたのに。どうして俺だけ生き残ったんだと恨んでいたのに。

俺は命が惜しいんだ。

そう思う自分が情けなくて、でも命があって走れていることが嬉しくて。

そうだ、おれは生きていることが嬉しい。今まで、その気持ちを認めたくなくって、あっしはひねくれていたんでした。

そして次第に亀一は自分自身に向き合うことで寛吉も理解できるようになる。

 

亀一は走り飛脚で、その仕事が一人きりで走る口実になるから、ただ走ってきた。己を空っぽにして走ってきた。涙もでないほど空っぽだから泣かなかったけれど、泣こうと思えば走りながら好きなだけ泣けたろう。

(中略)

ーーおまえは顔をなくしたが、俺は心を失くしてたんだ。

亀一は寛吉について来られて、亀一にとっては自分の過去を振り返って整理できて、本当によかった。二人の身に起こったことは本当に悲劇だし、そんなこともう起こって欲しくないと思うけれど、でも誰にだって起こることだし、この世に生きている限りなくなることはない。世界からしたらありきたりなことなのかもしれない。でも乗り越えるのはすごく大変だし、乗り越えることができたらすごい。亀一は生きていたけれど、でも実際は死んでいるようなものだったわけで。

 この話が一番後味悪くなくさっぱりして良い話だった。だいだい三島屋変調百物語には1作品はそういう心温まる話が入ってるから今回はこれだったのかな


黒武御神火御殿

そして本の題名にもなっている作品!黒武御神火御殿(くろたけごじんかごでん)って読むのだけど、最初は読みにくかった!

この本の半分近くがこの話になっていて、この本の大元になっている。話の入り方も謎かけでおもしろいし、おちか瓢箪古道の若旦那も出てきたりして嬉しかった。おちかが幸せそうで本当に嬉しいよ〜!

富次郎はというと、どうしたらいいのか悩みながらも一人(とお勝とともに)で頑張っていく。お勝っていう守神がいたのは本当に強いよね。

おちかの場合はある意味仕方なく百物語をやっていた。そうしないといけなかったからで、百物語を語る人々と同じくらい辛い経験をしていた。自分の人生を再び生きれるのか、それとも実際には死ななくても心は死んだままなのかっていう生きるか死ぬかっていう状況だった。でも富次郎はそんな苦境には立たされてないし、富次郎なりの苦悩はあるけど百物語を語る人々の方が大変な思いをしている。だからその人たちに圧倒されがち。特にこの黒武御神火御殿の話はなかなかに壮絶

キリスト教、本作では耶蘇教と呼ばれてるが、このシリーズの中で初めてキリスト教の話が出てくる。ややネガティブな感じで書かれているけれど、確かに一神教日本の八百万の神だと考え方が全然違う。ただどっちの宗教が良いとかそういうことってよりは、宗教を信じて報われなかったからといって怨念になるのは違うよねって話になっている。

私は八百万の神の考え方の方が慣れ親しんでいるので本当の意味で一神教はあんまり実感できない。どこかにそれぞれ神がいるって考えた方がしっくりくる。そもそもこの百物語自体も一神教って考えたならなかなか成り立たないようにも思う。

語り手としてやってきた甚三郎は風貌からして厳つくて男前でカッコ良い雰囲気を漂わせているのに、実際にはあんまり男前ではないことが分かる。当たり前のように怖がったりして。でも結局は一番強かったのは甚三郎だったのかなと思ったり。

あとお秋がなによりかっこよかった!甚三郎を思いっきりぶつところがよい!このお秋がいたら甚三郎は変われた部分もあるような気がする。

悲しい話ではあるけど後味はそんなに悪くない話でした。富次郎が絵を描かなかったのもよかった。絵を描くのはやばくないかな〜と思っていたら描かなかったので。