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文学系心理士が好きなことを徒然なるままに書きまくるブログ。小説、NETFLIX、たまに心理学のことも♪

命を落とした七つの羽根

 

読んでみて

ナダに住む先住民族の人々の差別を描いた物語。

以前にカナダの先住民族の子どもたちが寄宿学校で虐待を受けていたという記事を読んでから詳しく知りたいと思っていた。

調べると色々と記事が出てくると思う。

同じくらいに新しい赤毛のアンのドラマを観ていたらその描写が出てきていて、最近やっと先住民の人たちの差別が周知され始めているのだと思う。

 

んでいてひたすら辛かった。とにかく辛かった。

途中で読むのを少し中断していたくらい。

ちょっとした隙間時間に読めるような本じゃなかったのでガッツリ時間が空いていないとなかなか読もうと思えなかった。

 

み始める前は「地下鉄道」のような現実の出来事をベースにしているけれど小説という形をとっている小説だと思っていたのだが、完全にノンフィクションだった。

小説は辛い内容でもその物語の内容自体を楽しむことはできる。残酷さを描きながらも希望を残してくれることもある。でも今回はノンフィクションであり現在進行形で行われている差別で今も改善してはいないことを書いている。だから本当に読んでいて辛かった。不条理なことばかり起きる。カナダは先進国なはずなのに先住民の人たちにとっては全く違っていた。


宿学校は1880年代に始まり、1996年まで運営された。

その目的は先住民同化政策だったため子どもたちは自分の母国語を話せず、宗教も変えなければいけなかった。そして休みの期間でさえ親とも再会できず寄宿学校を運営していたシスターなどの宗教関係者から虐待を受けていた。そこでは身体的、精神的、性的虐待が横行し、粗末な衣食住しか提供されず定員を超える子どもたちが入れられた。

虐待は寄宿学校内で子どもから子どもへ連鎖され、さらに家庭を持った彼らは家庭内でも連鎖は繰り返されていった。

虐待ももちろん大きな爪痕を残すが、他にも母国語が話せなくなってしまったり自分の民族の文化についても知らないままになってしまった。同化政策のせいで文化が継承されなくなってしまった。寄宿学校から元の家に戻ってもそこは知らない世界になっており、子どもたちはどちらに属することもできなくなってしまっていた。

とにかく運営側には子どもたちを健康に健全に育てようとする思いはなく、親元から離すことで自分達の宗教や考えに同化することが目的だった。だからといって白人達の仲間に歓迎したわけでもなく都合のいいように扱いたかっただけ。だから今でも差別が根強く残っている。


た、1940年から1952年まで飢餓実験として知られる研究を6つの寄宿学校の生徒を被験者として実施していたことが分かった。

こういう人体実験は黒人差別の時にもあった。どこでも同じようなことが起こるのだな…。


今作は2000年から2011年の間にサンダーベイに住む7人の子どもたちが亡くなった事件を描いている

大柄な男の子も亡くなっている。そんな男の子も亡くなるなら女性はもっと亡くなるのでは?と思っていたら案の定。

先住民族の女性が殺害され負傷する割合が、非先住民族の女性の割合の数倍高いことが分かっている。2014年になって初めて何者かによって先住民族の女性が拉致されているという事実が先住民族以外の人たちにも知られるようになったが、これは先住民族の人たちには周知の事実だった。

それがまた悲しい。明らかに不審死でも警察は殺人と分類しておらず、捜査もされていない。

 

七人の前の少年

七人の前にも亡くなっていた少年がいた。彼は12歳のチャーニー・ウェンジャック。

1966年の10月16日に寄宿学校から逃げる。その後、一緒に逃げた友人の親戚の家にたどり着くが、一人だけ親戚ではなかったことから家まで600キロメートル以上の距離を徒歩で帰ることを決意する。

そして10月23日に線路脇に倒れているところを発見された。

同じ時期に複数の生徒が逃げていることから、その時に何か恐ろしいことが起ころうとしていたためみんな逃げようとしていたのだと考えられる。そして当時も性的虐待が行われていた。教師と生徒間だけではなく、虐待を受けた生徒がまた年下の生徒に行うこともあった。

「サンダーベイの生徒たちの話を聞いたとき、彼らは恐怖で失踪したのだと直感したの。」とパールは言った。

つまり1966年から状況は変わっていなかったということ。寄宿学校は廃止されたが、結局先住民の子どもたちが教育を受ける場所は地元にはなく、親元から離れて都会に行かなければならなかった。

ところがその都会は差別がひどく危険な場所だった。

 

一人目

2000年10月28日ジェスロ・アンダーソンは行方不明になった。DFC高校の運用が開始されてから1ヶ月以内だった。友人のシャオンはジェスロが女の子たちともめているのを目撃している。ジェスロは10月1日に15歳になったばかりだった。警察は行方不明から6日後にやっと行方不明者の調査を始めた。

そしてジェスロは川の中から発見された。警察は氷点下になる10月下旬にジェスロが自発的に川に入ったと結論づけた。また、警察や検死局から遺体が見つかったことへの連絡はなかった。叔母のドーラが遺体を確認すると、額の一番上から頭頂部にかけて傷が確認できた。また、頬には丸いあざのような傷があり、誰かが火のついたタバコを押しつけたのではないかと思った。

二年後、従兄弟のネイサンの元にジェスロを殺したという男性が現れた。

 

二人目

コラン・ストラングは2003年の16歳の時から門限違反と飲酒を繰り返していた。2004年の5月には自分と友人が誰かに尾行されていると学校に電話している。コランは従兄弟と友人を自殺で亡くしていた。

そして2005年9月22日に行方不明となる。川の近くで飲酒したことが分かっている。友人と口論になり、コランはその場を離れるのを拒否したため他の2人はコランを残したまま去った。そして9月26日に川で遺体が発見される。警察は9月の寒い日に一人で入水したと考え、事故だと結論づけた。

 

三人目

2006年11月10日にポール・パナチーズは自宅に帰ってきてしばらくすると倒れた。わずかなアルコールはしたが酔っていなかった。

ポールの死後9年が過ぎた2015年に母であるマリアンヌは初めて息子の死亡状況についての当局の見解を知る。それまで何も知らされていなかったのだ。

医師は現場に立ち会っていなかった。そしてサンプルは5年で破棄されるため再調査もできなかった。結局死因は特定されないまま現在に至る。

 

四人目

ロビン・ハーパーは新しい仲間の7人の少女たちとお酒を飲んでいた。1.7リットルのウォッカ、氷冷缶のビッグサイズが3本、ビールの1リットル缶を6本を購入していた。ロビンは自分では立てないくらいに酔っ払ってしまう。警察に暴行されて差別を受けたことのあるスカイはNNECの職員に助けを求めた。そしてロビンは下宿先に帰ることとなる。その時点でロビンは生きていた。ところが朝の6時30分にロビンが死んでいることが発見される。医師の立ち会いはなかった。

吐瀉物による窒息だったが、時間内に病院に搬送されればアルコール中毒は致命傷にはならなかった、と弁護士は述べた。

 

五人目

2007年10月にリッキー・ストラングは気づくと泥酔した状態で水の中にいた。なんとか岸に上がり家に着くが、一緒にいたはずの弟レジーは消えていた。

川の近くで少年少女は飲み会をし、1人あたり1リットルの酒を飲んだようだった。そして15歳の少年レジーは川の中で見つかった。事件性はない、と警察は結論づける。だが、二人が持っていたはずのバックパックは見つかっていない。そしてリッキーもレジーも泳ぎが得意だった。

 

六人目

カイル・モリソーは有名なオジブウェの画家であるノーバル・モリソーの孫だった。

2009年10月26日にカイルは橋の袂でお酒を飲んでいた。そしてカイルが川に浮かんでいるのが発見された。ズボンの前上部にやけどの跡があり、左太ももの外側が裂けていた。血中エタノール濃度は228mg/100mlであり、300から400の間の数値は致死的と考えられている。

 

七人目

2011年2月7日ジョーダン・タイタス・ローレンス・ワバスは行方不明になる。15歳のジョーダンは、ショッピングモールへ行き、友人たちと少し飲むことにした。そしてその後にバスで目撃されている。

ジョーダンが行方不明になってから警察は三日間も動かなかった。子どもが危険にさらされている場合に出される緊急警報も出されなかった。

そして川で見つかった。彼を突き落としたと言っていた男もいるが、真相は分からない。また、玄関まであと少しの距離、ガールフレンドへ電話する予定だった彼が、違う場所へ何キロも向かったのはなぜなのか…。


人の子どもたちは死因が分からなかったり死に至るまでの過程が分からないままに亡くなっている。

多くの子どもたちがお酒を常用していることに驚愕するが、それにも負の連鎖があった。

寄宿学校で虐待を受けた子どもたちは大人になってからもまだ問題を抱えたままだった。虐待の傷は癒やされず、仕事は与えられず、住居も改善せず、元々の土地も汚染される。そんな彼らにはアルコールやドラッグに頼るしかなった。そして子どもたちはそういった家庭で育つこととなる。

それが彼らにとっての普通の家庭。周りで死を体験していない子どもや自分や周囲の人が問題を抱えていない子どもは誰もいない。そういう状況の中で人々をサポートし続けるのは大変だと思う。無力感を感じることが多くなってしまうと思う…。


して子どもたちはサンダーベイでひどい差別を受ける。暴言を浴びせられたりするだけでなく、車から卵を投げつけられたりする。物を当てられて殺された人もいる。でも警察は誰も捕まえない。なぜなら警察も差別をする。

サンダーベイに住む先住民の高校生にレイシズムを経験したことがあるかどうか聞いてみて欲しい。彼らは間違いなく、人種差別的な中傷、ゴミや腐った卵などが通り過がりの車から投げつけられた経験を話すに違いない。他にも、正体不明の集団にビール瓶で後頭部を殴られ、道路脇で血を流していた者もいる。彼らがよく耳にする人種差別的な言葉に「ボガン」がある。これはサンダーベイに住む白人が先住民族に対して使う蔑称だ。

 

レイシズムを子どもにどう説明すべきか、マリアンヌ は悩んだ。

「無視しておきなさい」とマリアンヌは電話口でささやいた。「これは彼らの問題で、あなたの問題ではないの。ただ仕返しするのはダメ。絶対に。放っておきなさい。」そして、母親が息子にしてやれる唯一の抗弁の仕方を授けた。殴られたら、もう一方の頬を差し出しなしなさい。「自分がレイシストにならないように。そのような人種差別的な態度はどこにでもあるからね。でも彼らのようにだけはなるんじゃないよ。」

辛い。辛すぎる。

ニッケルボーイズを読んでいる時に神に絶望する場面がある。自分を傷つける相手を愛することなんてできないと。その通りだと思う。

でも反抗したらもっと悪い状況になるかもしれない。でも反抗しなくてももっと悪い状況になることはある。どうしたらいいのか?

これは彼らの問題で、あなたの問題ではないという部分は最近読んだフェミニズムの本にも書いてあった。そうやって思うのってそれはそれで難しいなと思う。困っているのは被害者側だからね。


人目のロビンの友人であるスカイは、酔っ払っていただけで警察に拘束され、その際にパトカーが凹むほど頭をぶつけられ、牢屋に放り込まれ、そしてそこで暴言を浴びせられる。彼女はまだ10代の女の子なのに。まだ子どもなのに。

欧米諸国は子どもを手厚く保護する印象があった。でも先住民の子どもは別らしい。


もそも行方不明になってすぐに警察は動いてくれない。

その部分は日本の感覚で言うとそこまで憤ることなのか、と驚いてしまう。 子どもとはいえ中学生から高校生の年代だし。今は変わってきたのかもしれないけれど、日本だと警察から行方不明届をすぐに出さずに様子を見るように言われたりすることを聞いたことがある。事件性が高くないとすぐに捜査してくれなかったりする。今回はお酒を飲んでいる子も多いので日本の感覚だと動いてくれなさそうだと思ってしまう。

サンダーベイの警察も同じようなことを言うのだけど、それは本当は怠慢で白人の子どもが行方不明になったらもっと迅速に緊急として動くらしい。事件性あるなしに関係なく子どもの行方が分からなくなったこと自体が大事件っていう認知らしい。児童じゃなくても未成年なら子ども。子どもと連絡が取れず行方が分からないのは大事件。そういう考え方に日本もなって欲しいと思う。


で亡くなった子どもたちも皆自然の中で育ったため泳ぎが得意だった。酔っていたとはいえ川で溺れるとは思えない。それに氷点下になるほどの季節にわざわざ川に入るだろうか?

そして実際に暴行されて川に入れられて殺されかけた子どももいた。実際にそういう状況があるにも関わらず事件だと断定できるのか?

 

七人以外にも…

2002年頃にシャウオン・ウェイビーは十数人の白人男性グループから暴行を受け、肋骨を骨折し激しい打撲傷で入院した。友人が警察に通報したが、警察は彼を留置所に入れて尋問のために拘束した。シャウオンは一人で病院に行った。彼の母はすぐに荷物をまとめ、自宅に連れ帰った。


なぜ警察が被害者を留置所に入れて尋問するのか、病院に連れいて行かないのか色々と訳が分からない。酷すぎると思う。


2008年10月28日には16歳になるダリル・カケカヤシュが3人の白人男性から殴る蹴るの暴行を受けた。建築用材木も使って暴行をし、さらに川に放り投げて暴行を続けた。

なんとか川から上がりバスに助けを求めた。報復を恐れたダリルは警察に通報しなかったが、翌日事件を知った学校が通報した。ただし、警察はダリルに連絡を取らなかった。七人のDFC高校の生徒の死の審問が開かれる時まで。そして未だに誰も逮捕されていない。


警察は何もしなかった。状況が分からないだけで七人の子たちもそうなのでは?って思うよね。誰でも思うよね。


ダニエル•ピアディは19歳だった。NANのグランドチーフであるスタン・ピアディの息子だった。

ダニエルはホームパーティーで殴られ意識を失っているところを発見された。2004年8月1日に死亡した。

 

宿学校の虐待を受けた人々が親となり、貧困から脱することもできず、環境もよくない中で自殺率は高い。

ワーサ通信ブログラムの校長、NNECの教育部長、専務理事に就任したノーマ・ケジックの甥エリックは2005年3月27日に自殺した。


口2100人のピグでは、過去20年間に少なくとも100人の人が自殺によって亡くなっている。さらに子どもたちの多くがガスや接着剤、ガソリンなどの匂いを嗅いでいた。

そのせいで脳に後遺症を負った子どももいる。そうやって麻痺させないと生きることのできないなんて…。

350人のコミュニティの中で2年の間に2人が亡くなった。それはサンダーベイ規模の都市で700人の若者が死亡するのと同じだ。


死がぞんざいに済まされたことに同意するかという質問をした際に、審問に出席していた主任検視官が審理の中止を求めて中断する事態となり、結局この質問を取り下げなければいけなかった。

この部分が本当に信じられない。信じられないことはたくさんあるけれどこんな幼児みたいなわがままをよく通せるな、と思う。自分の非を認められない人間が主任なんてやるなよ。そしてそれを取り下げないといけないという部分に明確な力関係が出ている。

とにかくひどいことをされていても、それに警察も司法も介入してくれない。日本よりもアメリカとかは裁判沙汰にするイメージがあるけど、そういうのも受け止めてくれる警察や司法がいないとそもそも成り立たないのだと分かった。

どれだけひどいことをされても、差別をされている側はそれを訴えることさえできない。警察が怖くて暴力を受けても警察に行けないということが辛い。法が守ってくれない世界に住むのはどれだけ怖いだろうか。


審員候補生の中に先住民族はほとんど入っていない。つまり、先住民族は司法から排除されているということ。

白人のルールの中で白人に裁かれる。

そしていまだにインディアン法がある。

土地は還されず、むしろさらに取られたり飲み水が汚染されたりする。

今も人々はトレーラーハウスのような粗末な家に住み、安全な飲み水もなく学校もない。

個人の問題ではなく、カナダが民族浄化政策を行った結果。今もカナダはその現状を放置している。

最後に少しだけ進むけれど、予算は全く足りず、再び七人と同じような犠牲者が出る。川で亡くなっているが警察は再び事件性なしとした。


みながら日本のことも考えた。

アイヌ民族先住民族と初めて明記したアイヌ新法が設立したのは2019年だった。そして沖縄は過剰な基地負担を強いられてきた。

戦争の本を読むと沖縄の人々が話す言葉は現地の兵士には分からなかったためスパイだと疑われて殺された人もいたとある。それを子どもの頃に読んで、私は沖縄も日本の一部だと当たり前に思っていたけれど、その時代は違ったのだと初めて知った。

もっと学校でアイヌの人々や琉球の人々について教えていくべきだと思った。


の本を読んでいると日本の方が下水道や学校教育などについては差別がないと思った。どこに住んでも同じような環境で住めるのはすごいことなのだろう。

先住民の人々が住んでいるところへは飛行機でないといけないような場所であることが多いため、土地が広大というのもあるかもしれないけれど。

でも日本の方が同化が進みすぎているからかもしれないと思う部分もあった。日本語が共通言語になっているし。

カナダの場合は先住民族と非先住民族との外見的特徴的に違いがあるため、先住民の人たちを脅威がない状態にはしたいけど自分の仲間としては受け入れようとしていないという背景があると思う。日本の場合は外見的特徴にそれほど違いがないため、同化が進んだことで明確に区別しなくなっていったのかもしれない。


どもの頃は日本は単一民族だと思っていた。全然違う。もっとその辺りを学んでいきたいと思った。


紙の絵はノーバル・モリソーの息子であり、カイル・モリソーの父であるクリスチャン・モリソーの作品。

 

新バージョンの赤毛のアンにも先住民の子どもが寄宿学校に入れられる描写がある。アンは助けようとして奮闘する。

ただ、アンは最初から助けようてしていて当時のことを思うとちょっと美化しすぎではないだろうかと思う。

プリンスエドワード島はその名前が有名だけれど元々はミックマック族が住んでおり、アベグウェイト(波の上のゆりかごの意)と名付けられていた。アンの物語は好きだけれど、先住民族の目線から見るとまた違った見方ができると思う。悲しいけれどね。


しずつカナダの人たちも先住民の人々への差別に目を向け始めている。もっと早くしてくれたら、と思う。文中でも外国で起こった地震には援助をするのに同じように飲み水が飲めない先住民族の人たちは支援をしてくれないことを書いている。

ただ、昔に先住民族の味方をすることは社会的にも迫害を受けることだった。1904年にプライス氏は寄宿学校の子どもの扱いを批判したが、その結果研究資金はカットされ公務員資格も剥奪。そして差別を描いた本を出版したことでさらなる迫害を受ける。

こうやって国全体で差別をしていたからこそ、なかなか難しかったのだと分かる。でももう現代なのに、とは思ってしまう。


分達も加担している差別について目を向けるのは辛いのは分かる。私も外国の差別について読むのは自分が実際に被害者にも加害者にもならずに済む。もちろん自分のこととして想定することはできるけれど。

でも自分の国で起こっていることならそれは自分が被害者の場合もあるだろうけど加害者の場合もある。どっちにしても辛いよね。

でも読んでいこうと思う。まずは現状を知っていきたい。