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不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか

今日は8月15日終戦記念日ということで、こちらの作品を紹介。

ちなみにアンビリーバボーでも紹介されたことがあります。

佐々木友次さんとは

佐々木友次さん万朶隊(ばんだたい)という日本陸軍航空隊初の特別攻撃隊の一員だった。

彼は特攻兵として9回出撃し、9回とも生きて帰ってきたのだ。

ある時、このエピソードを知ってその人のことを書いた本もあると知り、とてつもなく気になって気になって読みたくなった

読む本リストには入っていたのだが、難しかったりしてあんまり読めなかったどうしよう、時間のある時に読もうかな、と思ってなかなか読めなかった。


少し前にやっと入手したので読んでみることに。

思っていたよりも読みやすく、1日で読めてしまった

内容もとても素晴らしかった。


構成としては佐々木さんがどういった人でどうして9回出撃し9回戻ってこれたのか、

さらに2015年の佐々木さん本人へのインタビュー、

そして特攻兵とはそもそも何だったのかについても書かれている。

 

佐々木さんへのインタビューはとても読み応えがある

高齢なのもあり、長期間会うことは叶わなかったようだが、それでも直接お聞きできたのはよかったと思うし、それを読むことができて本当によかった。

佐々木さんはもちろんだが、インタビューしてくれた著者にも感謝しかない


驚いたのは、こんなびっくりするようなエピソードを持っている佐々木さんがほぼ無名だったということ。

むしろ「帰ってきた」ということ自体を良い受け止められ方としていなかったことに衝撃を受けた。

死ぬつもりだった人が戻ってくると不都合になる人がたくさんいたからだろう。

戻ってきて喜んでくれるなら、そもそも特攻兵なんて死ぬ前提の考えができるはずがない

佐々木さん自身も多くの人が死んだ中で自分が戻ってきたため、あまり大ぴらにはしなかったようだ。

 

岩本隊長

万朶隊の隊長である岩本隊長は、爆弾を外せないものから外せるものへと交換した。

つまり生き残れるようにしてくれたのだ。

これができないと、もし不具合で着陸しようとしてもできなくなってしまう。

 

そんな人が、なんと冨永司令官が宴会をしたいと言ったためにマニラに行く道中で亡くなった

これは信じられなかった。

危険な状態になっているのにわざわざ宴会のために呼び寄せるなんて。

 

冨永司令官

そもそも冨永司令官がフィリピンに派遣されたのは東條英機が辞職したことで、東條英機派だった冨永陸軍次官を左遷させたかったからだった。

陸戦の経験さえほとんどなく、航空戦に関しては無知で経験もない冨永司令官が激戦のフィリピン航空軍の総司令官になった。


これを知ると、結局私利私欲のための戦争であり、その私利私欲のために負けたんだと感じる。

権力を握っている人たちは激戦地にはいかず被害を受けることもない

素人が総司令官になって部下が困ってたとしても関係ない。そう思っているのだろうな。

呆れてしまう。

 

冨永司令官が戦況が悪くなると逃げてしまうのだが、結局最後にはシベリアに連行されてしまう。

これを聞いてしまうともうなんともね…。

この人の命令で多くの人が亡くなったのは確かだろうけども、シベリアはとても厳しいから…。

戦争は全ての人が傷つくからするべきではないよ。

 

佐々木少年

飛行機に憧れを抱いていた佐々木友次少年は、その夢を叶えることとなる。

飛行するのが大好きだったようで、たとえ特攻のためだとしても飛行するのは楽しかったと語っている。

そのぐらい好きなものがあるのは羨ましいし、そのお陰で死への恐怖が和らぎ窮地でも冷静に考えて生き延びることができたのかもしれない。

 

9回の出撃

佐々木さんの9回の出撃を簡単にまとめた

1回目

万朶隊として出撃するが、標的に当てることが困難と判断し上昇。小さな船を見つけたため爆弾を当てて帰還。

この時の成果を「戦艦一隻、輸送船一隻撃沈」と発表された。


2回目

空中集合ができず、爆発が見えたため着陸した。

 

3回目

操縦席に乗った時に飛行場が爆撃される。

 

4回目

とうとう一機だけの出撃を命令される。6機の直掩隊とともに出撃。先頭の直掩隊の隊長が急に旋回したためそのまま飛行場に。わざわざ殺すことはないと適当な場所まで飛んで引き返してくれたのだった。

 

5回目

アメリカの戦闘機の編隊が近づいてくるが見えたため、身軽になるために爆弾を投下。バコロド飛行場へ。

 

6回目

すぐに戻ってくるように言われ、飛び続けた。着くと、すぐに出発しろと言われ出発することに。アメリカ艦船が打ってきた。なんとか爆弾を落とすと、大型船が傾いているのが分かった。

 

7回目

胴体着陸をしてから5日後に出撃。いつもの手慣れた様子で滑走を始めたが、整備の見落としのため離陸できなかった。

 

8回目

200隻近い敵船団に対して1機で突っ込むことに意味があるとは思えず、戦闘機に発見される前に戻ることに。

 

9回目

爆音が異常になり、空気と燃料の混合火を示すブースト計の片方に不調が現れていた。そのため戻ることに。


佐々木さんは驚くべきことに何度か爆撃を落としている

その上で生き残って帰還している

飛行技術も素晴らしいのだろうし、生き残るという意思も固かったのだろう。

 

驚くべきことに生き残っていた佐々木さんと津津田少尉に、特攻で生き残ったが大本営発表で死んだものは生きていた困るからと狙撃命令が出ていたという。

特攻隊として死ぬ決意をして出撃した人にそんな仕打ちをするのか、と唖然とした。

人間どこまでもひどくなれるものなのだな。

帰郷して、それを実行しようとしていた猿渡参謀長と再会する。

部下たちが上司に復讐をしていた中で、佐々木さんはそんなことをしてもそれですむものではないと感じて、出ていったという。

 

特攻について

特攻は本当に無謀だったようで、今作を読んで全く理に叶っていないということを実感した。当たり前だけれど。


人材も少ない、物資も少ない中で人と飛行機が一緒になくなる特攻が有益なわけはない

佐々木さんは素晴らしい技術を持っているけれど、恐らくもっと余裕があった時であれば同じくらいの技術を持つ方は多かったのではないだろうか


しかも佐々木さんは当時21歳

もっと経験を積んだ人は本来ならいたはずだっただろう。

でも戦況が悪化し、どんどん亡くなっていくため、若手を養成する時間がなくなってしまう。それでも特攻をする意味なんてないと思うのだが…。

 

特攻の威力

特攻して命中したとしても大艦船を沈める威力はなかったようで、新聞に発表されたことは大袈裟に言っていたにすぎなかったようだ。

だから一般の国民からすると特攻は効果をあげているように感じただろうし、大艦船と引き換えならば命が犠牲になるのは仕方がないと感じたのだろう。

ところがほとんどの場合は当てることができず、かなり遠く離れた距離からでもアメリカは察知することが可能であり近づくことさえ難しかった。

 

無謀な9回の出撃

佐々木さんが爆破をして亡くなったという発表は天皇に伝えられたことだった。

そのため、実は生きてましたと言った場合は天皇嘘をついたことになってしまう。

だから参謀は佐々木さんに死んで欲しかった。

ここも唖然とした。

間違っているなら間違ったと言えばいい話。

天皇に間違えたことを言ったからと言って、それを正すために本当に死んでもらうなんてひどすぎると思う。

そんな意味が分からないことで死ななければならないなんて。

当時の怖さが窺われる。

天皇が絶対であり、それ以外の国民の命は天皇よりもはるかに安かったということ。

同じ人間なのにどちらがどちらより上なんてあってはいけないと思う

 

特攻の理由

特攻をやれば天皇が戦争を止めろと言うはずだから、日本民族が滅びようとするときにこれを防いだ若者がいたという事実がありそれを天皇が止めたという歴史が残ろうなら日本民族は再興するから。

 

特攻を行なった理由を大西中将はこう語っていたと言う。

 

なんて遠回りな…。

そのために多くの命が亡くなってもいいんだな。

当時からすると、今の日本はもう既に日本ではないのかもしれない、とふと思った。

でも今の戦争がなくて自由な日本を私は好き。

その後の戦争の推移は、大西長官の言う通りになりました。「ただ一つ、陛下はなかなか戦争を止めろとは仰せられなかったことを除けば……」と角田氏は書きました。

この箇所も心に残っている。

天皇だけでは止めることができなかったのは分かる。

でも大西中将がこう考えていたのであれば、天皇はもっと早く戦争を止めることができたのではないか?と感じてしまう。

特攻を正しかったという理由

また、戦後においてベストセラーとなった「神風特別攻撃隊という本がある。

これは大西瀧治郎中将の部下であり、海軍の特攻を命じた中島正猪口力平が著者とのこと。

 

この作品では特攻に志願した人たちは自主的に、キラキラと目を光らせていたそうで、これが当時ベストセラーになったのかと思うととても怖く感じてしまう

 

恐らく特攻を命令した人たち、国民を含めて支持した人たちにとって自分たちが加害者だと認めたくなかったからではないかと思う。

 

死人に口なしだからこそ、生きているものがストーリーを変えることができる。

普通に考えたら死ぬことが決まっていることを自ら進んでやりたがる人なんていないと思うのだが。

いたとしたら洗脳だし、もし仮にいたとしても軍のような縦社会であったら本当にその人の意思かは確認できないと思う。

 

これともう一つ、実際に特攻に行って生き延びた桑原さんという方の話が印象に残っている。

インタビューに答えて桑原さんは正直に、「私の場合は形式的には志願ということになっているが、実際は指名、つまり、命令であった」と答えました。  死ぬことに恐怖はなかったのかと聞かれて、「ほんとうに死を恐れない人間がいるだろうか。特攻出撃までの日々は、苦悩そのものとのもう一つの闘いで、体験した者のみが知る複雑で悲痛な心境であった。私は本音を言えば死にたくなかったし、怖くなかったと言えばうそになる。しかし、軍人である。命令は鉄の定めだ。悲しい運命とただ諦めるより仕方がなかった」。

このように答えた際に周りから非難されたということが衝撃的だった。

声を上げている人は特攻隊員ではないのに、実際に特攻隊員であった桑原さんを非難する

信じられないことだと思う。

やはり「神風」と神のように扱うのは、そう扱いたいのは、自分たちとは違う神のような人たちであって、無理矢理殺されたわけではなかったのだと思いたいのだと思う。

根が深い

 

佐々木さんの思い

佐々木さんがどうして上官に歯向かえたのか。どうして生き延びて戻ることができたのか。

佐々木は自分でも意外に思うほど、冷静な気持ちだった。身が引き締まり、闘志が燃えるのを感じた。「人間は、容易なことで死ぬもんじゃないぞ」日露戦争を生き延びた父親の言葉を何度も胸の中で繰り返した。

 

自分が奥原伍長のように緊張しないのは、生来の負けん気と操縦の自信と父親の「人間は、容易なことで死ぬもんじゃないぞ」という言葉のせいだと思っていたが、ただ単純に空を飛ぶことが好きだからかもしれないと佐々木は思った。


著者もどうして佐々木さんが戻れたのかをインタビューでも尋ねている。

「いや、やっぱりそれは寿命ですよ。寿命に結びつけるほかないの。逃げるわけにはいかない」

(中略)

「それはね、私はそれをいまもって考えているんですけど。私の父親が日露戦争金鵄勲章もらった。それが大いに影響しているんじゃないかと思って。父親が金鵄勲章で帰ってきたんだから、俺も帰れるわと、そういう気持ちは充分あったんですね」

(中略)

「気力は失わなかったね。ともかく、先祖の霊に支えられているっていう一言です」

「くに(故郷)の家の茂平沢(佐々木さんの地元)に祀られている、先祖の霊。先祖は見たこともないし、会ったこともないし。なんだけど、なんかに支えられてすがっていきたいという」

(中略)

「やっぱり仕打ちがひどいなということで、しっぺ返しになるような行動しなきゃと思ったんじゃないですか、軍に対する」

佐々木さんは飛行機に乗ることが大好きで、岩本隊長のことや父が生き残ったことなどがあり、自分自身も生き残ろうと諦めなかったのだと感じた。

また、戦後は飛行機乗りにはならなかったけれど、ずっと乗りたかったと思っていたのではないかと思う。