獣の奏者 外伝の中のひとつ、「秘め事」についての感想を書いていきます。
あらすじ
エサルのもとに王立学舎連から会合の知らせが届く。すっぽかそうと思っていた会合の議事案の中に「オキマ=ルキン」という名前を見つけるまでは。彼は学友であるユアンの三男だった。ジョウン、ユアンとともに過ごしたタムユアンでの学生生活をエサルは思い出しー。
読んでみて
獣の奏者でここまで恋愛を描いたのは初めてだと思う。そんなに恋愛小説は読まないのだけれど、そこらの恋愛小説よりもずっと深くずっと心に響く作品だと思う。エサルの苦しいくらいの思いがわたしにも強く感じられた。どうすることもできなかった恋、どうにもできなかった恋、そしてその思いを抱えて生きていかねばならないこと。そして女性だからこそ思う、子どものこと。
恋がどういうことか、人を愛するのはどういうことかをエサルが言葉にしてくれている。
そばにいるわけではないのに、ふっと、彼の匂いがする。ーーそういうとき、自分に起きていることが、異常に生々しく思えるものだ。自分の身体から別の人の匂いがしたときの、あの感覚……。恋をするというのは、心のことだけではない。ーー自分の身体そのものが変わってしまうことなのだ。
(中略)
この世で 人が為すことの多くは、自分の努力で為せるのに、赤ん坊を産むことだけは一人ではできない。ほかの人との営みがなければ、子は得られない。彼を愛した営みの中で、わたしは多くのものを得たけれど、その営みで子を得るという望みは、初めから持っていなかった。わたしたちの絆は、自分たちのさきへ伝えていくものを育めるような絆ではなかった。それでも、あのころのわたしにとっては、なによりも大切な絆だった。
子どもを産むことは一人ではできない。世間ではよく男性が透明化されるけれど女性一人ではどれだけ望んでも子どもは産めない。少なくとも誰かが一時でも、子どもが産まれることも想定して、それでもいいと思った上で愛し合わなければ子どもは生まれない。
エサルとユアンの関係は未来がなくて、というか未来がないからこその関係でもあったのだろうけど。よくある恋愛小説ならきっと二人は結ばれたんだろうなと思う。子どもを作る、産むってことは少なくともその時は二人の間に未来があった、ということなのだろうな。
エサルの父の言葉。
ーー雌雄が交わって実を結び、次代を育む花もあれば、自身が養分をしっかりと蓄えて根を伸ばし、その根から芽を伸ばして、また美しい花を咲かせる植物もあるものだ。
この言葉に救われる人は大勢いいると思う。この前の作品でエリンは子どもを産んでいて、命懸けで自分と自分の愛する人の子どもを産むのは尊いと思った。でもそれぐらい相手を愛せるのってそんなことが自分のにもできるのか分からなくて怖くもなる。子どもを産むことを選べた人たちの方がなんだか偉く感じてしまう。でもそうじゃない。役割が違うだけで、別に上下の差はない。自分の子孫をつなげていくことも大事だけれど、子孫を産まなくても子どもや周りの人たちに関わって生きていくことで考えや思いはその後にも繋がっていくんだと思う。そういう親以外の関わりの中でも人は育って、時代ができて文化ができていくんだと思う。
まるで言葉を打ち合うように、わたしたちは夢中で会話を交わした。互いの考えに触れることで、まだ言葉にすらなっていなかった思考の輪郭がくっきり見えるようになり、ぐんぐん広がって伸びていく興奮を味わいながら。
エサルとイアンの関係はとても羨ましい。お互いがお互いを高め合っていく関係。お似合いなのに。でももし結婚できるような関係だったとしても二人はしなかったのだろうか。夫婦とは違うのだろうか。でもこういう関係性に憧れる。こういう関係性の夫婦ならずっと成長できそうだけどね。
失恋についてものすごく丁寧に書かれていて、とても共感した。
終わった恋を、それでよかったのだと思えるまでには、長い時間がかかる。苦しさから逃れるために、これでよいのだと理を説いて自分を納得させようとしても嵐のように乱れた心は、そんなことでは痛みを消してはくれない。理が意味を持つのは、情が冷めてからだ。情が冷めていくまでは、いかに頭でわかっていても、心も身体も、消えていく恋を必死に追いつづけて悶え、泣きつづける。彼とのことが終わったときは、身体に舵を入れられ、前半分をべりべりと制がされてしまったような気がした。心というものが、ほんとうに血を流して痛む のなのだとーー息をしても、なにをして痛むものなのだと、 そのとき思い知った。夫婦として長く暮らせば、恋もまた別物に変わっていくのだろうけれと、燃えさかっているそのときに無理やり消さねばならなかった炎は、ひどい火傷を残すものだ。
どうにか立ち直ろうと頑張るエサル。
哀しみを逝かせなくてはならない。一刻も早く、この哀しみを逝かせなくては。もう、なにをしてももどってはこないーーもどってこさせてはいけない人なのだから。一刻も早く思いきって、自分の人生を生きなければ……。(中略)その結果を哀れんで泣くような、くだらないまねだけは、絶対にするものか、と思っていた。
女性の自立が難しい国で、エサルはそれに抗い続けた。
タムユアンでの暮らしは、飼い犬がいっときだけ芝生に放されたようなもので、どれだけ駆けまわっても、庭を囲む高い壁の外に出ることは許されず、時が来ればまた、狭い犬舎にもどされて、死ぬまでそこで過ごすのだ。
(中略)
館にもどれば、これまで学んできたことは、すべて「良き思い出」にすぎなくなる。そうなってしまうまえに、なにかひとつでも意味のある成果をこの世に残しておきたいと思いながら、胸の奥には、そのくらいしか残せるもののない自分の人生を噺笑う、乾いた気分が潜んでいた。
「良き思い出」しか残らないなんて強い。そう思うと、現代の方が女性も生きやすくなっていてありがたいと思う。先人たちのお陰だ。エサルがこの時頑張ったからこそ、エリンも引き継がれていったのだから。にしても、真王は女性なのに女性の地位が高いわけじゃないってなんなんだろうね。
そしてエサルの決意と行動力、考え方のかっこよさが胸を打つ。
わたしは生来の負けず嫌いだ。運命に弄られたまま黙っているのはしゃくにさわるし、やられっぱなしの者を見れば、意地でも助けてやりたくなる。(中略)だからわたしは、蹴返してやりたくなったのだ。自分を嘲笑っている運命を。
木々のはざまから、空が見える。白い雲が青い空にくっきりと映えている。時というのは、こういうふうに過ぎるのだ。ーーそれが、あのころは、わからなかった。
そういうものなのかな〜、と。最近はすごく早く時を感じる。気がついたらおばあさんになっているんだろうか。
思いはけっして逝かない。やがて、時が薄れさせてくれるとしても、願うほどには早く消えてはくれない。それでもわたしは幸せだ、と思った。いまはとてつらなく苦しいけれど、それでも。
(中略)
芽吹きのころの、あの明るさの中で知ったことは痛みも喜びも、みな身に泌みこんで残っていく。老いてもなお、あの若芽の匂いは心をくすぐる。得られなかった夢を悼む気持ちなど人には見せず、たくさんの欠片を胸に秘めて、老人たちは、なにごともなかったかのようにわが道を歩いていくのだ。
分かるような分からないような。やっぱりまだ分からないな。人生の半ばを過ぎた人向けに描かれたようで、わたしはまだ分からない。自分ではそれなりに歳をとったように感じるけれど、人生の半ばを過ぎた人に比べたらまだ全然だし。エサルのようにはまだ思えないかなー。辛いものは辛い、悲しいものは悲しいって感じ。合理化はしているけれど、本当に心からはまだ思えていないことの方が多い。早く歳をとって安定したいとずっと思っていたけれど、本当は若い時ってすごく大事な時期なのかも、と思ったり。今をもっと大事にすべきなんだろうな。でも将来思い返せるような思い出なんかあるかな〜。どうかなー笑。
なんだか心に残った言葉。
たとえ利那でも喜びがあれば、それだけで、生まれてきた価値はある。
とたんに、降るような星空が頭上に広がった。かすかに湿った夜気を吸いこみ、わたしは微笑んだ。カザルムは、なんと美しいのだろう。
あんまり自然に触れ合っていないから触れ合いにいきたい。フィールドワークとか好きなので心理士になってなかったらそういう道もよかったな〜と思う。でも文化よりも人間の心に興味があったのかなあ。
あとジョウンとのやりとりは読んでいて面白かった。もう一回、ジョウンがエリンをカザルムに連れてきた場面を読み返してしまった。エサルとジョウンはお互いに信頼し合っていて、相手を思い合っていて、でもやっぱりジョウンおじさん!と思ってしまうところもあった。周りも不美人だから気にするなってね〜。持っているものを輝かせるべきなのはその通りなんだけどね〜。でも言われたらイラッとするよね。すごく笑ってしまった。