地下鉄道の話!
地下鉄道のフィクションを読むのはホワイトヘッドの「地下鉄道」ぶり!
悲しい話だとは分かっているのに、だからこそなのか読むのは辛い。
あらすじ
19世紀中盤、アメリカのヴァージニア州に住む黒人奴隷・ハイラム。彼はあらゆる物語や風景をそのまま記憶することができる能力を持っていた。農園主を父に持ち、兄であるメイナードを補佐する役割として一生を終えるはずだったハイラム。ところがある時、兄が乗っている馬車もろとも川に落ちーーー。
読んでみて
「地下鉄道」と比べるとあまり疾走感はなく、展開があまり読めなかった。
そもそもハイラムは黒人奴隷だけれど、特殊な能力があること、父が農園主であることで他の黒人奴隷よりも優遇されていた。外で働く奴隷ではなく白人たちが住む家の中で働き、兄のメイナードを補佐する執事のような役割だった。なので、そのまま暮らしいても「奴隷」という立場であるけれど売られることもなく、そこで暮らすことができる未来が決まっていた。
でも一方で、父親は一緒でも母親が違うだけで人生が全く違うこと、能力もないし努力もしない幼稚な兄が全てを手に入れ自分がそのサポートを一生しなければいけないこと、主人たちの暮らしを間近で見るからこそ彼らが自分達を搾取して王様のような優雅な生活をしていることを目の当たりにしてしまう。
ハリエットの本でも、本当は母は家の中の奴隷になって欲しかったけれどハリエットには合わず帰ってきてしまうという場面がある。外の奴隷は重労働だが主人である白人は近くにいない。中の奴隷はいい服を着て室内で暮らせるが白人が常に近くにいて白人の機嫌によって体罰をされたり左右されてしまう。
体力的に問題がなければ外の労働の方が中の労働よりも精神的なストレスは少なそう。でも外の奴隷だとしても白人の主人が来ることはあるし、主人じゃなくても監督者が残虐だったりする場合もあるから一概に言えないのかなとも思った。
とにかくハイラムは「特別」だった。
白人にとっても仲間の黒人にとっても。
そんな彼は幼少期の頃は畑仕事をしていて、そこで自分の父である農園主の目に留まり屋敷へ行くことになる。
その時のハイラムにとっては自分の祖先たちが築いた屋敷に出入りできるということが誇らしくさえあった。ところが育ての親のシーナは言う。血が繋がっていようとも本当の家族は私たちだと。
大人になったハイラムはソフィアという女性に惹かれる。
彼女は自分の父の弟、つまり叔父の奴隷で愛人だった。
愛人という言い方が正しいのか分からないけれど…。
本当に最悪だな、と思う。
ハイラムの母もソフィアと同じような状況であったことは想像できる。つまり強姦の結果がハイラムなのだ。
この事実はすごく辛いと思う。
でも母は幼少期にいなくなってしまったから、ハイラムは父をある意味美化して過ごしてきた。
そもそも冒頭部分でハイラムは兄のメイナードとともに川に落ちる。
それはこの世界からの「逃亡」のように感じられる。
だからこそその後にハイラムがソフィアと一緒に逃げたことも納得できる。
多分、母親がいなくなってからハイラムはずっと絶望していたのだと思う。でもその記憶を隠して生きようとした。父を理想化してメイナードの影となって生きようとした。
でも本当は母がいなくなった時に逃げたかったはず。母を強姦し母を売った相手のために生きたいと思うはずない。
そしてハイラムとソフィアは逃げる。
ここから「地下鉄道」のように逃亡劇が始まるのか!と思ったらなんとすぐに終わってしまう。
ソフィアが「いや、いや」と悲痛な声を上げる場面が辛い。この先どうなるのかと思ってゾッとする。「地下鉄道」では想像を絶する残虐なことが待っていた。
ハイラムはその後、捕まえた奴隷たちが入れられるところでしばらく過ごす。そこでは人間としての尊厳はなく、心を閉ざし感じないように解離していた。
今作では残虐な描写が詳しく描かれることはないが、ハイラムの状況からとても辛いことをされていることが分かる。
その後、ハイラムは買われて真っ暗闇の穴に閉じめられる。
今が朝なのか昼なのか夜なのかすら分からない。
こういうところに閉じ込められたら数日で気が狂いそうだと思う…。
そしてその後は鹿狩りの人間バージョンをやらされる。読んでいて「火の鳥」を思い出した。確かクローン人間の話で似たようなものがあったと思う。
この辺りは本当に辛かったけれど、徐々にハイラムが超人的になっていく場面では希望が持てた。
ところが…。
これが全て仕組まれたことっていうのはひどいことだと思う。
大義のためには個人の犠牲は仕方がないことなのか?
コリーン・クインはすごい。組織を作ってそれを運営して本拠地も堂々と作って…。バレたらどんな目に遭うか想像するだけで恐ろしい。だからその勇気は素晴らしいと思う。
でも。だからといってハイラムにわざと辛い体験をさせてもよいのだろうか?
長期的にみたらいいのかもしれない。犠牲は仕方ないのかもしれない。でも人間じゃないように扱うことは奴隷主たちと同じではないのか?
文中にて白人支援者と黒人支援者の差が書かれている。
コリーン・クインは僕が地下鉄道で出会った工作員たちのなかでも最も狂信的な者であった。こうした狂信的な者たちはみんな白人だ。彼らは奴隷制を個人的な侮辱か恥として、自分の名を汚すものとして捉えている。女たちが売春宿に連れていかれるのを見てきたし、男が自分の子供の前で裸にされ、鞭で打たれるのも見てきた。あるいは、貨物列車や蒸気船、監獄などに家族がみんな豚のように詰め込まれ、閉じ込められるのも。奴隷制は自分たちに具わっていると信じている基本的善の感覚を傷つけるので、彼らにとって屈辱なのだ。そのため自分の親戚がこの卑しい慣習を実践していると、自分たちも容易に同じことをしてしまいかねないと心配になるのである。彼らは野蛮なきょうだいたちを軽蔑するが、きょうだいであることに変わりはない。だから、反発は一種の見栄であり、奴隷制を憎むことが奴隷への愛をはるかに上回る。ョリーンもその点は同じで、だから奴隷制を激しく非難しながらも、あんなに気楽に僕を穴に落としたり、ジョージー・パークスに死刑を宣告したり、あるいはソフィアへの侮辱を噺笑うことができるのである。
そのときの僕はここまで物事を整理できていなかった。僕の頭にあったのは理屈ではなく怒りであり、それは自分が所有しているものを中傷された怒りではなく、人生で最も暗い夜に僕を支えてくれた人が中傷されたことへの怒りだった。
「地下鉄道」でも白人夫婦に匿ってもらっている部分に同じような内容があった。つまり白人の支援者は自分達の信念に基づいてやっている。やるかやらないか選んでやっている。でも黒人たちにとってはもっとシンプル。生きるか死ぬか自由か奴隷か。
「彼らは僕にとって運ぶための荷物ではない。彼らは救済です。僕は彼らに救われた。だから、彼らを救うべきだと感じる状況が現れたら僕はやります」
ハイラムにとっては例え裏切り者であっても同じ黒人であり家族同然だった相手を裏切るのは辛い。でも彼女のとってはただの裏切り者にすぎない。
仲間なのにズレがあるのが悲しかった。
でもそういうものだよね。黒人奴隷廃止論者の中でも段階が色々あって、奴隷は廃止だけど参政権は与えるべきではない、奴隷はよくないけど白人よりは劣っているから助けないといけない、みたいな考えも多かったことを知って驚いた。
奴隷解放と女性の参政権の活動をする人たちは助け合うこともあったみたいだけど、他の問題も含めると全く同じっていう人は少なかったのだと思う。当時も男性が聴衆の前で演説するのは当たり前で女性が演説する機会はほとんどなかったらしいし。
そしてソフィア。
なによりソフィアの考え方がすばらしい。これは今の女性にとっても当てはまる考え方だと思う。
「私を自分のものにしたいのよね、わかってるわ。ずっとわかってた。でも、あなたにわかってもらわないといけないことがあるの。あなたのものになるためには、私はあなたのものになるわけにはいかない。私の言ってることわかるかしら? 私はどんな男のものにもなるわけにはいかない」
ん?なぞなぞ?と思うかもしれない。
でもこの言葉が繰り返し出てくる。どういう意味なのか少しずつ理解できるようになっていく。
「あなたはよりよい人になってなきゃいけないの。もっとよい人になってって言ったでしょう。白人の男を黒人に替えるだけじゃ嫌だって言ったわ。それがどうよ。自分の持ち物でもないもののことで苛々して。誰一人持ち物にしてはいけないもののことで。もっとよい人になっていなきゃいけないのに」
ソフィアは逃げたい。奴隷ではなくなりたい。
でもその結果、その先で白人男性ではなく黒人男性を主人とすることには断固として拒否している。
女性は二重だったのだなと思う。白人の主人、そして自分の夫。
黒人男性なら奴隷ではなくなれば自分が自分の主人になれる。でも女性の場合は白人の主人がいなくなっても黒人の夫の言うことを聞かないといけない。
なにしろ女性の権利がなかったからね。
ハイラムはソフィアのことを理解してソフィアの意思を尊重してくれたけれど、そうじゃない男性の方が実際には多かったんじゃないだろうか。
文中で白人の奴隷主のことを「主人」と記されている。それと黒人の夫の描写が混合するところだと、一瞬誰のことを言っているのか分からなくなってしまうことがあった。なぜなら日本では夫のことを妻が「主人」と言うことがあるから。だから一瞬「あれ?」と思ったけれどよく読めば自分の夫のことは「夫」として書かれてあったので「主人」は白人の奴隷主だと言うことが分かった。
妻が夫のことを「主人」っていうのに慣れていたけれど、奴隷主の「主人」と同じだって考えるとヤバいなと思った。ソフィアが懸念していることが言葉通りに起こっているんだなと。前に読んだフェミニズムの本で結婚は「奴隷」って書いてあって、それはそれで極端な考え方だと思ったけど、結婚したら夫のことを「主人」って呼んで立てるっていう部分で言うと昔はそうだったのだなと感じた。まあ借金の肩に売られたり相手の家と縁繋ぎになるために結婚させられたりとかあったわけだからね。
「まだわからないの?私が求めているのは、これまで常に求めていたことと同じ。あなたにいつも話してきたことと同じよ。私は自分の手が欲しい、脚が欲しい、腕が欲しい、笑顔が欲しい。自分の大切な部分がすべて自分のものであり、自分だけのものであってほしいの」
彼女は僕のほうを向いた。僕はまだ天井を見つめていたが、彼女にまっすぐに見つめられているのを感じた。
「私が何かを求めるならーーすべてをほかの人に譲りたいと思うならーーそれは私自身の欲求によらなければならないの。そういうことをしたいっていう私自身の願望。わかる、ハイラム?」
かっこよすぎない??これを言語化して自分の好きな相手に言えるのはすごく強い女性だと思う。本当の自由を求めたソフィア。
そして最後。
「自分で選んだのなら、鎖ではないわ」
本当にそうだな、と思う。
同じ結果ならいいじゃんって言われたりすることがあるけど、そうじゃない。自分で選んだことかどうかということが大事。そうすることで自分は主体性があって自分で決断できる尊厳のある人間だと実感できる。そういうのをとことん削ぎ取っていくのが奴隷だと思う。元から奴隷の場合はそもそも自分で決断する機会を与えられない。どれだけ完璧にこなしても奴隷主の些細な機嫌で体罰を受ける。そうすると学習性無力感になっていってしまうと思う。これって虐待を受ける子どもやDVを受ける人にも言えると思う。自分で自分のことを決められなくしたらあとは簡単に支配できてしまう。
そしてもう一人の女性シーナ!
彼女が辛い思いを吐露した場面が本当に辛かった。
黒人奴隷たちは家族が引き離されることを何より恐れていた。ハリエット・タブマンもその危機を回避するために逃亡した。
名字もない奴隷たちは売られたらどこに行ったのか分からなかった。売られた先でさらに売られた可能性もあるし、亡くなってしまった可能性もある。
奴隷主たちは奴隷が逃げたときはよくそんなに特徴理解していたな?!というくらいの特徴を記して探すくせに、そうじゃない時は個別の人間であると理解さえしてない。
自分の産んだ子どもと引き離されてもう二度と会うことができなくなるなんて。しかも産んだ子ども全員がそうなるなんて。
自分の子どもの行方が一人でも分かれば嬉しいだろうと思っていた自分が馬鹿だった。傷はものすごく深くて、思い出すことさえ辛い。そして一人しか見つからなかったという事実に直面しなければいけなくなってしまう。
ハイラムは奴隷主が父なんだけど、ハイラム自身は奴隷。
詳しくは分からないけれど、多分戸籍とかにも父親の欄は書かれていないのだよね?そう思うと現代になって実は自分達の遠縁だったっていう人にもしかしたら会ってたりすることもあるのだろうか、と思った。そういう場合でも多分分からないんだよね?
本作には実在の人物であるハリエット・タブマンが出てくる。
ハイラムには不思議な力があって、その不思議な力と母がいなくなった謎。この二つの謎を抱えながら物語が進む。
そしてその不思議な力を持っているとされるもう一人の人物がハリエット・タブマンだった。彼女の人生も少しずつ変えて本作に織り込まれている。
シーナの子どもが彼女の甥の妻だったり。
「モーゼ」という描写があって、「まさか?!いや、まさか?!」と思っていたらそのまさかで本当にハリエットが出てきた時はびっくりするやら嬉しいやら。実在する伝説の人が出てこれるのはフィクションのいい部分だよね。
ウォーターダンサーというのは本当は水の上を歩くけれど水を上に乗せて踊ること。逆にしているということで興味深かった。
水が大事というのもおもしろい。
確かに水を渡ってアメリカに連れてこられた。帰るためには水を越えなければならない。
不思議な力の着想点が好きだなと思った。
ファンタジー要素がありつつ謎がありつつ、地下鉄道よりも残虐な描写はなく、希望を感じさせる部分も多いので読みやすいのではないだろうか、と思う。
作中に出てきた実際の話
〝ボックス・ブラウン〟の復活
エレン・クラフトの武勇伝
ジャーム・ローグの逃亡
ウィリアム&ピーター・スティル兄弟「地下鉄道の記録」にて。
ホワイト家の物語が実話だと知って驚いた。生き別れた子どもが偶然にも再会する。奇跡だと思う。
タナハシ・コーツの著書。
「美しき闘争」
「世界と僕のあいだに」
「僕の大統領は黒人だった」
以前に読んだ作品はこちら
そして私新潮クレスト・ブックさんが好きだということが分かった。
翻訳ものが好きなんだよね〜〜〜。