あらすじ
ゲンリー・アイは、宇宙連合エクーメンからのたった一人の使節として惑星「冬」に降り立つ。その星では、男女の区別はなく皆が両性具有だった!
そのうちの一つの国、カルハイド王国に滞在していたが、頼りにしていた宰相エストラーベンが追放されてしまう。カルハイド王国での交渉を諦め、隣国オルゴレインに向かうがー?!
読んでみて
なかなか衝撃的でおもしろい作品でした。
最初はちゃんとしたSFだなあ〜!
そういう世界観なのか〜!
主人公の使命はそういう感じなのね〜!
この星はこういう状況で〜!
確かに誰を信じていいか分からないよね〜!
と思っていたら!
後半になるにつれ、これは...!
この本は男同士の友情だったの?
いや性別はないから男同士ではないか。
でも友情なだけでもない。
つまり2人のラブ・ストーリーの話だったの?!
このための世界観だったの?!
と衝撃的だった。
もちろん単なるラブ・ストーリーではないのだけれど、まさかそういう展開になると思ってなかったのでびっくりしてしまった。
もっと全体的に硬い話かと思っていたよ。
いや、実際に硬いのだけども。
一般的なラブ・ストーリーというよりは、男性でも女性でもない、同じ人種でもない、同じ生物でもない2人がお互いを理解し合う物語だと思う。
作者は全く違った存在だとしてもわかり合うことができるということを描きたかったのではないだろうか。
物語としては少しずつしか説明されないため、分かりにくさはある。
世界観も最初はイマイチ分からない。
でも少しずつ分かってくるとおもしろくなるのでそこまで読んで欲しい。
氷原を旅するところが一番よかった。
指輪物語っぽいな〜と思いながら読んでいた。
一歩一歩旅するところが似ていると思う。
彼らは800マイルを旅する。
しかも雪原を。
気温がマイナスになったくらいで上着を着るなんて!と驚かれる世界の中でも最も寒い世界を。
また、この世界では両性具有というのが特徴的だ。
男性でも女性でもない。
発情期になると男性か女性かどちらかになる。それを自分では決めることはできない。そのため、どちらが子どもを産むのか分からない。
だからこそ、子どもを産むために休むのは当然のこととして受け止められている。
う、羨ましい!
女性が主である世界なら、この作品の世界と同じように産休をとることは当たり前のこととして組み込まれてそうだよね。
悲しい。
ゲンリー・アイが女性について説明する描写。こうやって言われると生まれる性別によって人生が変わってしまうことを再認識させられた。
しかし非常に大きな違いがあることはたしかだ。われわれの人生においてもっとも重要な要素となるものの一つは、男性に生まれるか女性に生まれるかということです。ほとんどあらゆる社会においてその性が期待や行動や外観や倫理や作法など ほとんどあらゆることを決定するのです。語彙も。語法も。衣服も。食物すら。
また、この世界では近親相姦が認められている。
読んでいる時はええっ!?という感じだった。
なんと兄弟間であっても大丈夫。
ただ、子どもが産まれたら結婚の誓いであるケメルを誓うことはできなくなる。
つまり別れなければならない。
その辺りがよく分からなかった。
子どもが産まれたらダメってどういうこと?って。
でも考えていくうちに、恐らく恋愛ではなく生殖のために許されていることだからではないかと思った。
厳しい寒さの中、行き交うことも難しくなる。そういう時に発情期を無理に止めることはしない。それは自然のことだから。
だから子どもを産むまでは仕方がないことだと捉えられているのではないだろうか。
でも子どもを産んでしまったら、もう生殖は達成されたことになるから別れなければいけないのかな、と。分からないけど。
私たちの世界では性交渉自体が近親者とやることが禁忌になっている。
やはりそれは生殖以外の面が強くなるからではないのか。
私たちと同じ男女の違いがあるゲンリー・アイはこの国では性倒錯者ということになっている。
常に男性であり、常に発情しているから。ゲセンの人々から見たら、信じられないことらしい。
そう言われると確かにそうかも〜と思う。
また、ゲセンには戦争がない。
本書の中で男女の差がなく、両方を持ち合わせているからではないかと描かれている。
どうなのだろうね〜。
ナオミ・オルダーマンのパワーを読んで思ったのは、やはり女性しかいなくても戦争は起きると思う。
そうなるとどちらの性を持っていても戦争は起こるのでは??
ただ、どちらかの性を弱いものとみなし、もう片方の性が強いことを誇示しようとすることで争いは起きやすくなるのかもしれない。
マウント取るために争いを起こすみたいなね。負けたくないとか、よく見せたいとか。
だから男女の差が全くなくなれば、同じ性の中での純粋な競争になるのだろうな。
それで戦争が起きるか起きないかは分からないけど。まあ基本は起こるでしょうね...。
ゲセンでは家系は母方、つまり 肉親=(カルハイド語。アムハ)から受けつがれる。
男性、女性がないため、産んだ方の元で育てられるらしい。たぶん家父長制がなければ、女系の方が確実だから女系になってそうだと思った。
ゲンリー・アイがエストラーベンのことをずっと信じていなかったのにはイライラさせられたな〜。
エストラーベンのことを信じないようにした方がいいっていう助言は信じるのにね。
ゲセンで私を信じている唯一の人間である彼は、私が不信をいだいている唯一のゲセン人であると言った彼の言葉は正しかった。なぜなら彼は私を人間として全面的に受け入れていた唯一の人間だからである。私に個人的な好意をよせ、私に個人的忠誠をよせ、したがって私にも同じ程度の容認、受容を要求していた人間だからである。
でも最後にエストラーベンが言った言葉は悲しかったけどね。
エストラーベンのゲンリー・アイについての感想。
彼にはある虚弱さがある。あらゆるものに対して無防備で傷つきやすく常に危険にさらされておりその生殖器すらも常に体外にぶらさげているようである。しかし力がある、信じられぬくらい強い力をもつ。
ここは笑ってしまった笑。まあ確かにそうかもしれない。
心に残った部分。
「悪い政府を憎まないのは愚か者です。そしてもしこの地上によい政府というものがあるなら、それに奉仕するのは大きな愉びだと思います」
追放の身にある私たちになによりも必要であった友情、そしてあの苦しい旅の明け暮れにたしかめあった友情は、いまはもう愛と呼んでもよいのかもしれない。だがそれはわれわれのあいだの違いからくるもので類似からきているものではない、両者の違いからこの愛は生じているのだ。そして愛がそれ自体かけ橋なのだ。私たちを分かっているものにかけわたす橋なのだ。
題名にもなっている歌。
光は暗闇の左手(ゆんで)
暗闇は光の右手(めて)。
二つはひとつ、生と死と、
さながらにケメルの伴侶、
さながらに合わせし双手、
さながらに因-果のごと。
独特の世界観でおもしろかった。
政府とはまた違う共同体のようなものがあって、将来はこんな感じになってるのか、と思ったり。