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【ドナ】自閉症だったわたしへ

【ドナ】自閉症だったわたしへ

だいぶ前に友達に薦められてから読もう読もうと思っていてやっと読めた作品。自閉症について当事者が書いていてともて貴重なもの。ドナが子どもの頃には「自閉症」という言葉時代が珍しくて、彼女自身も「自閉症」という言葉と出会ったのは大きくなってからだった。もちろん「自閉症」っていう言葉を知っていても大変な人生だったとは思うけれど、周りの人はもう少し彼女のことを理解できたのではないかと思う。今は当時よりは生きやすくなっていると良いけれど。

自閉症だったわたしへ (新潮文庫) [ ドナ・ウィリアムズ ]

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感想(14件)

あらすじ

オーストラリアで生まれたドナは、周囲とは違う面が多くあった。人とうまく付き合うことができず、自分でもどうしたらいいのか分からず、傷つき苦しみ続けていた。それでも自分を見つめ続け、模索し、人と関わりながら、とうとう文章にしたのが本作。

 

はじめに

この本を書き上げ、そして書き上げるまでに苦難に直面しながらもなんとか生き抜いたドナはとてもすごい本当に素晴らしい人でとても強い人なんとか前を向き続けた人だと思う。人と関わりたくてでも既存の関わり方では関われなくて自分なりのやり方を模索し続けて…。読んでいるだけでも辛くなってしまうくらいなのに。とにかく感動したしその原動力はどこから来るのか感嘆してしまう。


理由があるからやっている

すごく興味深くてものすごく勉強になったのは自閉症の人たちがよく行う動作や言動についてドナが説明をしているところ

彼女は記憶がある乳児の頃からの体験を書いているのだけれど、空中に浮かんでいる埃がキラキラしてずっと見ていたり人ではなく物と一体化してみたり。彼女にとっては人の声の方が邪魔だった。他にもおうむ返しをする理由その時の気持ちとともに記載されている。それがドナにとっての「ことば」だったのにそれを分かってくれる人はいなかった。

キラキラしたものや手触りが気に入った物を好んで、自分のフィーリングに合う物だけを食べる。きっと側から見ると不思議に思うことばかりだろうけれど、ドナにとってはちゃんと理由があって一貫して、そしてそれを大人になってから鮮明に思い出している。

彼女には彼女の世界があってそこでは安心することができた。でも暗闇が怖かったため架空の友達を作り上げていく。途中でドナが「自分自身が行っていたことは何十年もかけて修行して身につけるものだった」と書いてあってものすごく納得した。一般的に生きている人は何十年かけてその境地に行かないといけないれけれどドナはそれが子どもの頃からできたり、そうすることで危険な現実の世界から自分を守っていた。外側の世界から全く離れて意図的に自分の世界に没頭できるのはすごい。ドナは暴力などの肉体的な痛みでは自分は怖がらなかったと言っていて、それができるのも現実の世界から離れられるからだったと思う。空想上のキャラクターを作ったり、そのキャラクターになったり、解離していた部分もあるように感じた。NETFLIXのマインドフルネスの動画で修行僧は火の中に入っても微動だにしなかった箇所があってドナも同じような状況だったのではないだろうか。現実の痛みから離れることができるのは、子どもの頃から日常的に暴力を振るわれていた状況も影響しているように思う。

 

人との関わり方

ドナは急に相手との接触を立ったり、恐らく相手からするとよく分からないことや些細なことで関係を終わらせていて、でも人をずっと求めていて、彼女は本当に人が好きなんだなというのを読んでいて感じた。私の方がドナよりも全然人と関わりたくないなって思ったぐらい。

少女の間はまだよかったのだけど、大人になるにつれドナを利用しようとする男が出てくる。ドナはとても賢いのだけれど簡単なことでも騙されやすく、そこをつけ込まれることが多い。恐らく長い間家族から暴力に晒されたことも悪循環の一つになっていると思う。そしてドナ自身は暴力には心を動かされない、つまり我慢できてしまうという状況も影響している。

他にもガレージで寝泊りしたり、道端で目をつけられて男たちが家に入って来たり、怖い場面が多くて心臓が縮んだ。自閉症を持っていて「女性」であることでさらに辛い境遇に立たされている。その辺りはやっぱり男女でリスクの違いがあるし、本人も周りも男性よりもより注意しないといけない部分だと思う。利用しようとする人間がクズなだけなんだけども。でもとにかくなんとか生き残ってくれてよかった。

 

ドナの強さ

ドナは大変な状況に何度も陥っているけれどなんとか彼女はそこから何度も出ようとする。メアリーに会いに行ったのも大学に行ったのもイギリスに渡ったのも本を書いたのも全部ドナの強さだと思う。例えドナではなくウィリーが行動していたとしても本来の彼女の強さであることには変わりないと思う。何より諦めなかったことに尊敬する。

ドナは「ふたつの闘いの物語」と綴っている。「外の世界」から身を守ろうとする闘いその反面そこへ加わろうとする闘い。ドナにとっては生きること自体が闘い人と関わることが闘いで相反する葛藤があって、どうすることもできない状況に陥りながらもなんとかそこから抜け出そうと闘う。最後の闘いの部分のキャロルとウィリーのやり取りが子猫たちのやりとり、旅男についてのやりとりが心に迫る。これを自分の中で自分一人でやったなんて!

ドナととても似ていたショーンがどうなったかは分からない。ドナのように「外の世界」に対する長い長い戦いが終わる人はそんなにいないのだと思う。だからショーンのことを考えると少し悲しくなる。

ドナが自分と同じ「自閉症」と呼ばれる人たちに会いにいく。とても心に残った部分がいくつかあった。

私は彼に、こんにちはとかはじめましてなどと言ってもらおうとは思わなかった。そうしたことばは、「世の中」で動き回りたいと望んでいる人たちのことばだ。そうして彼、ペリーは、決してそう望んではいないのだ。

(中略)

彼の顔を見なくても、わたしには彼の話していることがわかった。こうして「ゲーム」は、それまでいるも、わたしのためのものだった。そして今、わたしはこうした「ゲーム」が自閉症の人間のものだと知ったのだ。

(中略)
「この子にことばがあるなんて、思ってみたこともなかった」キャスは言った。「でも今わかりました。この子にもことばがあったんですね。どうやって話せばいいのか、わたしがわからなかっただけなんですね」彼女は、息子がこんなにも「普通」に見えたのは初めてだ、とも言った。わたしもまた、他人をこんなにもよく理解してできたと感じることのは、初めてだった。

「わたしたちは、自閉症の人間にものを教えなければならないのは自分たちだと思っているでしょう」キャスは言った。「でも本当は、わたしたちの方こそ、あの人たちから学ばなければならないものがたくさんあるような気がします」

ドナはずっと「普通」と言われる「外の世界」に合わせようとしてくれていた。でも「外の世界」にいる人たちも少しずつ寄り添えればここまでドナは戦わなくてもよかったのではないかと感じる

 

エピローグ

エピローグにはドナが「わたしの世界」の言葉を紹介してくれている。同じところをぐるぐる回る理由や自分を傷つけてしまう理由など。そして愛されることをそれほど必要としてなくても暴力を勧めるわけではないこと、その他自閉症の人と関わる上での助言を書いてくれている

ドナは言葉を言葉として受け取っていない時にも相手の要求が分かったようで、

あらゆる思考は、まず感覚から始めるのだろう。自閉症の子どもにも、感覚はあるはずだ。けれどそれは孤立していて、普通のようにことばを通して表されることがない。そして不幸にも、大方の普通の人たちは、ことばとして耳から入ってくるものしか、聞くことができない。

ここがすごく心に残っていて、ことばで話せない人と心が通じたように感じた出来事を思い出した。例えば外国に行っても言語が通じなくてもなんとかなったりするし、「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」でも英語しか話せない「ぼく」と日本語しか話せないおじいちゃんは言葉は通じないはずなのに楽しそうに過ごしていると書いてあった。そう思うと普段言語に頼ることが多いけれどそれだけがコミュニケーションじゃないんだなと思う。言語にばっかり頼っている「外の世界」の方が偏っているのかもしれない。

 

終わりに

他にも紹介したいところが感じたことはたくさんあるのだけどひとまずこれくらいにしようかな。ここまで読んでくれた人がいたらありがとう。そして続編もあるみたいなのでそっちも読んでみよう。もっと当事者の人たちが書いている本も読まないとな〜。