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【バーネット】秘密の花園

バーネット秘密の花園

古典的な作品はやっぱり一度は読んだ方が良いかな〜って思って読んでるよ。ヴィクトル・ユゴー、オースティン、ヘッセ、ディケンズカミュあたりを少しずつ読んでいく予定!

あらすじ

インドで両親を亡くしたメリーは、イギリスの叔父さんに引き取られることになる。荒野(ムーア)の中でひっそりと立っている広大なお屋敷でメリーは自然と触れ合い心が豊かになっていく。お屋敷には「秘密の庭」があることを知ったメリーはなんとか探そうとするがーーー?ある時屋敷の中で泣き声が聞こえ見つけるとそこにはーーー!?

 

読んでみて

はっきりいってあんまり期待してなかったんです。「小公女」を読んだ時は昔は名作だったのだろうけど、別にそんなに響く作品ではなくって。なんと言うか出来過ぎじゃない?!と思ってしまって。子ども向けだから仕方ないのかもしれないけど。だからまあそういう感じの作品なのかなって思っていたら…秘密の花園はめっちゃ良かった!!!

自然に癒される

訳者のあとがきにも書いてあったけれど、1911年に出版されたこの作品は現代の心理学の発見を先取りしている。傷ついた子どもにとってどれだけ自然や生き物や同年代の子どもとの交流が大事が描かれている。例えば「西の魔女が死んだ」でも主人公のまいはおばあちゃんの家に行き、自然の中で過ごしていく。「ハッピーバースデー いのちかがやく瞬間」でも自然の中で過ごしていた。「ハイジ」でも自然の中で生きることで立ち直っていく。「獣の奏者」でもエリンは自然の中で生き物を触れ合うことで癒されていった。

自然の中って一概に言ってもただ自然の中にいるだけってよりは、そこで植物も含めた色々な命と関わることで癒されていっている。街中にいると自然に接することってあんまりないし、ペットを飼っていないと生き物と接することってほとんどない。普段の社会の中で傷ついた人にとっては人間以外の生き物と接することってとても癒しになるし、その上で同年代の子と接していくとさらに良いのだろうな。って言っている私はあんまり自然に接したことはなくて…。こういう描写をよく見るから自然豊かなところに行きたいなーとは思うけども…。虫が苦手だしなー笑。

コリンとの出会い

コリンやメリーは「嫌な子」として描かれている。確かに可愛げがない子だけれど、二人とも親から虐待をされて育っていて人と情緒的な関わりを持ったことがなくて、「愛すー愛される」ということが分からない。人を生身の人って思っていなくて、自分の言うことを聞いてくれるかどうか自分の望みを叶えてくれるかどうか、としかみていない。だからこそ人とどう接したらいいか分からなくて弱みを見せないようにツンツンしている。メリーはマーサやベン・ウェザースタフと出会ってちょっとずつ柔らかくなっていく。その上でコリンと出会ったから二人はうまくいったんだよね。

コリンとメリーが出会った時のところが印象的で、ストーリーの詳しい内容は全く知らなくて、本に載っていた簡単なあらすじしか知らなくて読んでたんだよね。だから「体と心を病む少年と少女の出会いと再生を描いたバーネットの代表作」って言う部分を「ディッコンのこと?でもディッコンは体と心を病んでないけど…でも少年出てないし…」って思ってたんだよね。

そうしたら幽霊みたいな少年と会って、そもそも幽霊モノなのかなってちょっと思っていたから、幽霊じゃないってことを知って逆に驚いた。というか広くて暗いお屋敷で泣き声が聞こえてたから見に行っちゃうメリーって肝っ玉がすごい!子どもの好奇心ってすごいね。私なら怖がっちゃ気がする。ともかくメリーはコリンと出会い、初めての同年代の友達として友情を育んでいく。コリンの癇癪にメリーが怒鳴ったのは最高だったし、子ども同士だからこそできることだと思う。

コリンの成長

最初はメリーが主人公だったのだけど、途中からはもう完全にコリンになっていく。賢くて本当は生きたいと願っていた少年は、生き生きと生きていける環境を与えられてスクスクと成長していく。そして諦めずに自分を信じれるようになっていく

コリンは自分がよくなると自分に信じこませたのでした。自分では気づいていなかったのですが、そう信じたことは戦いに勝ったも同然だったのです。

コリンが「魔法」と言っていることは「自分を信じること」「希望を持つこと」。それを魔法っていうのは素敵だなあと思う。確かに魔法みたいなことも起こるもんね。

周りの大人たち

ディッコンやマーサの母親であるスーザン・ソワビーは子どものことをよく分かっていて、尊重していて、慈悲深く寛容で、コリンが言った通り、本当にこんな人が母親ならどれだけいいか!ある意味完璧すぎる感じもするけれどね。聖母マリアのイメージなのかな。でも子どもと対等に接して尊重できるってすごい力だと思う。

一方、メリーの両親やコリンの父親のクレーブン氏は今で言うと「ネグレクト」をしている。クレーブン氏は「精神的な虐待」も積極的に行っているわけではないけれど当てはまりそうな気もする。どちらの両親も子どもの世話を誰かにやらせていて、その点では放棄しているわけではないけれど、主たる養育者が育児をしない、実際にやらなくても情緒的にも交流をしないのは立派なネグレクトだと思う。だからこそ、最後には丸く収まるし、コリンは父親に認めてもらおうと必死だけれど、子どもから目を背けていたクレーブン氏が何事もなく幸せになるのってなんなの?!と思ってしまう。コリンはまだ幼いけれど、例えばあと4、5年したら父親が自分にした仕打ちを実感して疎遠になりそうだなと思う。だから今からどれだけ親子として絆を作れるのが課題のような気がする。まだ幼い時は親に認めてもらいたくて必死だけれど、大人になっていく中で、反抗期があるし、親は完璧な人間ではなく欠点もあることを知る。そしてその時にコリンは父親が自分にしたことを許せるかどうかが要になるように思う。許せなかったら表面上は良くても本当に和解することはできないだろうなあ。

バーネットについて

訳者のあとがきのところで、バーネットは小公女と同じで、裕福だったのに貧乏になってしまい成功していることを夢見ていたことが分かる。実際に作家として成功して夢を叶えたのだからすごい。なかなか興味深い人生を送っていた人なんだと知って調べてみたくなった。伝記とかあったらまた読みたいな〜。