十二国記5冊目!!丕緒の鳥は4編の短編集。一つ一つの話について書きたいので今回はまず丕緒の鳥について!
あらすじ
慶国に新王が登極した。即位の礼では陶製の鳥を矢で射ることになっている。陶製の鳥を作ることを任された丕緒は前王の時代を回想しながら新王になにを伝えたいのか考えるがー?
読んでみて
最初は陶製の鳥を撃つってどういうこと?とよく分からなかったけれど徐々に理解できたし、その陶製造りに精を出す人々のことがすごく愛おしくなった。こんな細かいところまで十二国の世界観がしっかりしているなんてすごいし、本当にいくらでも物語が作れちゃうよね。
丕緒はもう陶製造りに熱意が持てなくて嫌になっていて、その理由が回想とともに語られていく。前王の時代、国は徐々に傾き始め、前王は周囲の人間を疑い始めた。捕まったが最後帰らない人間が出てきた。そして全ての女性を排除しようとする。
これって完全にジェノサイドだし他国を侵略できない十二国では自国の人々が犠牲になる。他国同士の戦争がない代わりに自国の人々が犠牲になってしまうように感じる。結局人間は人間を殺す。同じ種族同士でこんなにも殺し合うのって人間以外いない。十二国では戦争がない代わりにいつか王が乱心して虐殺することで何か帳尻を合わせているようにも感じられた。
丕緒とともに陶製造りに熱意を傾けてきた人々はみないなくなり、王は耳もかさず、丕緒には無念だけが残った。罪悪感というか。だから新王が登極しても新王のことが信じられないし期待するのが怖い。虐殺を経て今があるわけだから深い傷を負っていて当然だと思う。でも少しずつ過去を回想していくうちに少しずつ整理できるようになって、違う見方ができるようになっていく。
決して現実に正面から向き合う方ではありませんでした。背を向けて、自分の両手とだけ向き合ってこられた方です。ただ、だからといって現実を拒んでおられたわけではないと思います
丕緒は自分と蕭蘭の考え方は全く違うと思っていたし、蕭蘭の考え方は現実から目を逸らして考えないようにしていたように感じていた。そうやって多くの人が考えなかったからこそ事態はどんどん悪くなっていき、蕭蘭も消えてしまったのだとー。でもそうでなかったことに丕緒は少しずつ気づいていく。
蕭蘭は考えてなかったわけでも楽観視していたわけでもなくて、ただ自分の目の前のことに打ち込むことにしたのだ。それって絶望が蔓延するなかで生き残るためには大事なことだと思う。そんな蕭蘭がいなくなって、絶望して閉塞していた丕緒が生き残るのも皮肉に感じる。蕭蘭はもういないけれど、丕緒は蕭蘭のことを思い出してその意図を汲もうとする。
そして大射の場面は素晴らしく幻想的で実際にこの目で見てみたいし、実写でやってみて欲しい!こういうのを観れるっていうのは王様って大変だけど羨ましくも感じる。
最後の丕緒と陽子の場面ーーー丕緒はもう自分が望み通りの景色を作れていたことに満足していたし、それだけでよかった。外野の意見なんてどうでもよかった。でも陽子に呼ばれて、陽子が丕緒の考えを汲み取ってくれて、それでもう辞職しようと思っていた矢先に次の機会を楽しみにしていると言われ、その瞬間に丕緒の脳裏に新しい考えが景色が爆発するのが本当に良い。枯渇していたアイデアが爆発的に湧き出てくる、創作意欲が湧くーーー創作人ってこういうところがあると思う。陽子の一言、そりゃ王様だからその一言が重いのは分かるけどもそれだけで丕緒の脳裏には鮮やかな景色が浮かぶ。アイデアが枯渇していたわけでも陶製造りに飽きたわけでもなく、まだその状況が整っていなかっただけで陶製のことがまだまだ好きだったんだなと感じられる。陽子の治世で丕緒には自由に羽ばたいていって欲しい。
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