今さらながら!十二国記を読んでみたよー!
十二国記の存在自体は元々知っていたんだけど、なんか怖いイメージがあって手が出せずにいたんだよね。
原因は子どもの頃にみたアニメのせいなんだけども。子どもだった時にこのアニメがやっていて、あんまり普通の時間じゃない遅めの時間にやってたのかな?親が観るときに一緒に観てたんだけど、何分子どもだし、毎回観るわけじゃないし、なんかあんまり理解できなかったんだよね。
赤い髪の女の子、豹っぽいやつ、ネズミくらいはうっすらと覚えてたんだけど、それ以外はあんまり覚えてなくて。観てるときはそれなりに面白かった気はしたんだけどもよく分からず怖い記憶だけ残ったという…。
でもここ最近十何年ぶり?!に新刊が出た!って話題になっていて、書店に行くとどこでも平積み、特集されてて気になってはいたんだけど、やっっっと読むことができました。
一言で言うとおもしろかった!!!しかもヘッセのおかげもあってめちゃくちゃ読みやすかった。車輪の下は二週間くらいかけたくせに十二国記は1日で読めてた笑。恐らく今月中に全巻読めるはず!
あらすじ
普通の女子高生だったはずの陽子は、ある時見知らぬ男に連れられ異界へ。陽子に「お捜し申しあげました」と言った見知らぬ男とはぐれ、何かなんだか分からないまま異界で生きていくこととなる。今までの生活とは全くことなり、妖魔から命を狙われる日々が続く中で少しずつ陽子に変化がーーー?!
読んでみて
こういう完全なる異世界ものはハイ・ファンタジーっていうらしい。代表的なものに指輪物語がある。ハイ・ファンタジーはその世界に入るまでが大変だけど、一旦のめり込んでしまえばものすごく楽しい。細かい設定まですごく愛しく感じてしまう。
十二国記は指輪物語と比べても、私が最近読んでいた本と比べてもものすごく読みやすい。元々はライトノベル枠だったらしいので読みやすさは大事だったのかも。会話もわりとあるし、けっこうすんなり読めるはず。本当にヘッセに比べたら読みやすい。あとペストと比べても読みやすい!!十二国記は物語を読んでいる、って感じがするんだよね。
「こんな本は読んだことない!」っていう書評があったりするんだけど、最初は「そんなことなくない?」って思ってたんですが!これ刊行されたのって20年以上前らしくて、そう思うとすごいなってなるよね。というか最近流行りの「異世界に行ってみた」「異世界で苦労する」とかそういう系ってもしかして十二国記が元になってたりするのかな?
ナルニア国物語も形としては十二国記と似ているんだけど(現実から異世界に行き、敵と戦う)、陽子の方はかなり厳しい状態になってしまうのが大きく違うと思う。ナルニアは児童向けだしね。というかここまで厳しい状態をこんなにおもしろい作品としてよく描けるな!と感心する。
だって途中までは陽子が何がなんだかわからないまま劣悪な環境の中でとにかく生きようとする物語であって、かなり暗い。そもそも陽子も何一つ分からないし、読者もなに一つ分からない。途中まで十二国についての説明もない。
私はアニメの知識は既に皆無だったので、真っさらな気持ちで読んでたのだけど、陽子の気持ちを陽子と一緒に感じることができた。陽子と読者は状況が一緒だから、読者も陽子と同じように異界に行って、訳も分からないままどうするのが正解なのか分からないまま手探りで進んでるんだよね。なんというかRPGのゲームと似ているような気がする。
陽子は最初は人を信じて、でも裏切られて、人を信じなくなって。蒼猿は陽子の陰の声を囁く。蒼猿が言うのも最もだと思う気持ちもあるけど、もう二度と誰にも助けを求めないかもしれないことに対して少し寂しくも感じる。でも誰が敵で誰が味方で、なんてことは一見して分からないからこそ用心するしかないよなっていう結論に私も達していた。
楽俊との出会い
楽俊は本当に可愛い。挿絵も可愛い。私あんまりネズミは現実だと好きじゃないんだけど楽俊は可愛い。
楽俊と陽子が最初に出会う時の楽俊の描写が可愛い。
半獣っていう概念はおもしろいな、と思う。生き物は皆木の実として生まれてくる。親と子はこの世界では似ないらしい。なのに半獣は差別される。それって合理的じゃないように感じるのだが、でも世襲制ではないからこそなのか?と思ったり。世襲制だったら自分の子が半獣だったら問題だから半獣への差別をなくそうと思うかもしれないけれど、世襲制ではないから自分が半獣じゃなかったら関係ないのか。
陽子がいた元の世界、私たちがいる世界で生まれた王は同じ境遇の人たちに優しい。それは恐らく自分と同じ境遇だから。でもそうじゃなかったら中々理解できないのだろうか。永遠の命があって、永遠に死なない世界で王として君臨するってどんな感じなのだろうか。王だけじゃなく民の上に立つ人たちは。いつかものすごく頭が硬くなりそうで嫌だなあと思ったり。
あと陽子が少しずつ自分のことは自分で責任を持って生きていけるようになるのだけど、楽俊が言った言葉がなかなかに心に染みた。
「まさか、こんなに危険だとは思ってなかったでしょう?」
「だとしたら、おいらの見込みが甘かったんだ。それはおいらのせいで、陽子のせいじゃねえ」
楽俊はこういう言い方をよくするのだけど、「自分の行動は自分の責任」っていうことを理解できていてすごいと思う。現実では自分と相手の責任を混同している人ってけっこういるじゃん?自分自身もそういう時あるし。そっちの方が楽なんだよね。相手に直接言わなくても相手も悪いって思ったり。でも自分の人生なんだから自分で責任をもてるようにならないと何にもできないだろうな、とも思う。実際陽子もこっちの世界ではのらりくらり生きてきたわけで、その生き方は無難だけど、何もできないし何も残らないんだよね。自分のことを自分で全て負うのは怖いけれど、そっちの方が自由だし本当にやりたいことができるんだろうな。私も陽子みたいに変わりたいな〜と思うけど、陽子みたいな経験しなきゃどうせ変わらないよな、とかも思う。そんなわけないのにね。変わろうと思えば変われるはずなのに。変わるのが怖くて、変わりたくない理由を探してるだけなんだろうなあ。実際に陽子みたいな体験はしてなくてもそういう体験をしたつもりで生きることはできるだろうし。
ネタバレなんだけれど、
陽子が「タイホ」という名前を聞いたことを楽俊に言った時、全てのパズルのピースがやっとあてはまった場面がすごく印象に残っている。最初に「タイホ」という言葉を聞いた時は、「逮捕」という漢字を連想して、なんだか名前にしては変な名前だしカッコ悪い。それに逮捕されそうなことをしている人の名前がタイホなんておかしい、って思ったりしたのね。ずっと「タイホって変な名前。もっと良い名前にすればよかったのに」って思っていた。でも!でも!ここで!その意味が分かって!「逮捕」が「台輔」になった瞬間に言葉が正しい言葉になった瞬間に、その言葉に対する私の思いもすごく変わった。「台輔」という言い方がすごく特別な言い方となった。
作中でも最初はカタカナだったのが漢字をあてられて、そこで初めて意味をなすことが何度も出てくる。これって英訳の時とかどうしているんだろうかと無駄に心配になるけど笑。
カタカナから漢字へ、そうすることで見るだけで意味を理解できるようになる。これってすごいことだよね。漢字ってすごいよね。人の名前だって、同じ読み方でも漢字によってその人の両親がどういう思いで名付けたのかがよく分かる。漢字って素敵だなあと思う。カタカナだった言葉が漢字になることで、本当にその言葉の意味を理解したことになる。その言葉の表面の意味や音だけでなく、本当の意味を理解することができたということのように思う。すごくかっこいい。
麒麟との再会
最初の厳しくて辛くて、仲間もおらず、陽子がただ一人で頑張っていく長い辛い時間に比べたら、延王に会ってから麒麟と再会するまでは本当にあっという間だった。なんか、もっと!景麒と陽子の再会の絡みを!その後を!その直後を見たかった!のだけど、そこはあっさり書くのねーーー。そういうタイプかーーー笑。いやすごくまとまっていてかっこよくてそれはそれでいいんだけども!荻原規子のレッドデータガールを読んでた時も「これから」っていうところで終わって、それと感覚的に似てるよう思った。すごく潔くてそういう終わりも好きなんだけども、好きなんだけども!!それまでにそれぞれの登場人物のことをすごく好きになっているからできれば続きも読みたい!となってしまうよねー、うん笑。
なかなかに面白いので一冊ずつ感想描けたら嬉しいな〜。