「なんて素敵にジャパネスク」を読んだ後に、同じ作者の氷室冴子さんの短編を読んでみました〜。こちらもコバルトシリーズであり、思春期の女の子、ティーンエイジャー向けの作品が多かったよ。
あらすじ
「さようならアルルカン」と書いて真琴の靴箱にそっと入れた。小学6年生の時からずっと見ていた彼女は、今やジョークを言い、みんなを笑わせ、自らにNOT TO BEを命ずる道化師(アルルカン)になっていた。私の憧れは裏切られ、もはや私の知っている真琴ではなくなっていた。真琴の変化は、果たして成長なのだろうか。
読んでみて
アルルカンと言うのは、道化役者のことで、ずる賢いキャラクターのことらしい。
あらすじだけ読むとなんだか重いように感じるけれど、テンポよく読めるし爽快感もあって読みやすい作品だと思う。
真琴は、クラスでも自分の主張を押し通して、周りがどんな反応をするのかも関係ないし、表面上の友人関係なんていらないと思っている我が強いタイプ。
でもそんな人間は日本社会の中学生では反感しか買わない。だから「私」の憧れだった真琴はいつしか周りに合わせ、周りを笑わせる「アルルカン」になってしまった。
なんというか学生時代を思い出して胸が辛くなったよー。今思うと大したことないように思えるし、今ならなんでもっとやり返さなかったんだろう、とか、もっと自由に振る舞えばよかった、とか思うけれど…。その時は大したことじゃなかったし、この世の全てだったんだよねー。それに今自由に振る舞えばよかったって思うなら、今のコミュニティでできるはずだし、それができないんだったら結局できなかったってことだよなあ。
小説の中の「私」も読んだ「私」も真琴のことがカッコよく感じたし、真琴になりたい、強い憧れ、羨望、尊敬を持った。でも小説の「私」と違うのは、小説の「私」はちゃんと自分らしく生きることに決めて有言実行したこと。今までと違う自分になるって難しいことだと思う。
本当の自分をさらけ出して、それでも一緒にいてくれる人がいるなら、それは本当に自分のことを好きな相手なんだと思う。だから余計に怖いのかもね。本当の自分を出して好かれなかったら、本当の自分がそういう人間なんだって感じてしまうから…。私ももっと自分らしく人目を気にせずに自由に振る舞いたいと思う。そんな本でした。