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【たつみや章】月神シリーズを読んで

たつみや章月神シリーズを読んで


たつみや章月神シリーズの4作品を読んだので感想書いてみるよ。他に外伝があるけど、それはまた別の機会に!狩から稲作へと変わっていく時代。まだ神が身近にいた時代。不思議だけれど、その不思議さの中で生きてきた人たちがいた時代の物語

あらすじ

遠いはるか昔、月の神を敬い、すべての自然にカムイをみて縄文の人々は暮らしていた。少年ポイシュマもその1人であったが、ある時自分が「かがやく尾を持つ星の神」の息子人の世の災の前触れであり、その戦乱をおさめる力を秘めた英雄であることを知る。ポイシュマはムラの若き長・アテルイ月神の巫者・シクイルケと出会い、みずからの使命を探す旅に出るが、日の神を信じ、海の向こうからやってきた弥生の人々・ヒメカのクニシクイルケは捕らえらえてしまう。そこにはもう1人の運命の子であり、日のクニの女王ヒメカの甥であるワカヒコがいた。2人の少年は運命に翻弄されながらも出会い、成長していくが、争いは激化していきーーー?!

 

読んでみて

思ってたよりも神が近くて味方をしてくれるので、チートじゃん!と思ったのだけど実際はそんなにうまくはいかない。なぜなら神の力を借りられるのはカミの子だけだから。つまりポイシュマシクイルケだけ。しかもシクイルケはワカヒコを庇って死んでしまうし、ポイシュマはまだ子どもでカミのことをよく知らない。それ以外の人たちはカムイがいても見えないし話せない。私たちの感覚と近い。でもこの時代にはまだ神の子や神を憑依させることができる巫女がいたから神の力は信じられていたし絶対だった。タヂシヒコみたいに神を信じず自分の実力のみを信じる人間も出てきてはいたけど、そんなタヂシヒコでさえ神の力を恐れてはいた。タヂシヒコの感覚が今の私たちの感覚に近いような気がする。

ポイシュマやアテルイたちの世界は能力主義というか生まれながらに決まっている世界だなぁと強く思う。例えば得て不得手で各々がやること決まっている。話が上手い人は話をうまく語り継ぐことを担い、足が速いものはその足の速さを使い、皆を束ねて平等に扱うことができるものはムラの長となる。同じようにポイシュマは神の子として生まれてその能力を生かすことがポイシュマの人生ということになっている。ある意味で血縁主義的というか、予め持って生まれた能力至上主義というか。だから誰かが誰かを蹴落とそうとか誰かが誰かより上を目指そうとかそんなことがムラではない。なぜならできないことをできる人がやればいいから。お互い助け合えばいいから。

アテルイが村の長だけれど、別に長になりたいとムラのみんなが思ってるわけじゃない。ホムタは統治者になりたいから狙ってはいたけど。私たちが思い浮かぶ長は多分いいところが多いけれどアテルイの場合は村の権力者ではなく村のまとめ役って言う立ち位置になっている。むしろ権力はないけれど責任があるっていうあんまりなりたくない立ち位置だし、アテルイ自身もなりたいと思ってなっているわけでもない。

長って言っても周囲よりも上の立場ではない。別に長の言うことを聞かないといけないわけじゃなくて何か不服があれば誰でも申し立てることができる。つまりムラではみんな対等な関係性になっている。ポイシュマも神の子ではあるけれど別に他の村の人たちよりも偉いわけでもないし他の村の人たちよりも尊いわけでもない。ポイシュマのために村の人が死んでもいいってことはない。ポイシュマよりも村の人が死んだほうが全体としていいかそれともポイシュマが死んだ方が全体としていいかって言うようなことが重要になっている。つまり個々人が責任を持っているその集合体がムラ。アヤの国みたいに誰かがトップでトップダウンで政治を行っているわけではないトップダウンのやり方は私たちがよく知ってるやり方だと思う。タヂシヒコは権力を持っていてさらに上に立ってどんなことでもできる人間にもかかわらず責任を取らなくてもいいって言うなんか私たちの時代にももいるようなタイプの人間だ。権力を持ちすぎて周りも止めることができない。つまり権力だけがどんどん膨らんでいって他が伴っていないムラみたいに1番采配とかが得意な人間が選ばれるのが本当は良いと思う。でもこれができるのはアヤの国よりも村の方が小さいからで、しかも小さいからこそ相手の祖父母とか孫とかそういう家族を知っていて。だからできるんだろうなぁと思う。だから誰かを貶めたりとか蹴落としたりとかそういうような心配しなくても済む。なぜならムラ全体で考えてるから個人の利益とか不利益とかはどうでもよくてムラ全体が食べていけるかどうかが1番大事個々人にそれぞれ意見があるけど、みんな自分の利益を優先せずに全体を考えれる。これって昔の時代のことだけれど未来のことのようにも思う。そういう世界になったら良いだろうなぁ。

アヤの国とかはご飯を宝石に変えたりとかが出来るような豊かな国だからこそ周りを蹴落として自分がより豊かになりたいと思う余裕がでてきているのかなと思う。だからムラがもっと豊かになったらどうなるか分からないし、小さなムラじゃないと収拾がつかないと思う。

ポイシュマが神の力をどう使うのかちゃんと正しい選択肢をできるのか凄く気になっていたけれどラストではシクイルケの助けを借りても辛い決断をできるような人間になっていく。それは優しい世界で争いもなく傷ついた経験もなく育ってきたポイシュマが冷たい部分も得るって言う旅だったのかな。そういう冷たい部分があるからこそ多分その後のポイシュマの人生で優秀な決断というか周りの人のことを考えた厳しくても必要な決断を下していけたのかなと。

なのでワカヒコも第二の主人公ではあるんだけれどまぁ基本はポイシュマとアテルイ、シクイルケが中心だったと思う。どんな人間にも得て不得手があってともとの能力をどう使うかっていうのがこのストーリーの本質だったのかな能力があるものは闇にも引きずられやすくなるけれどそこを何とか堪えていけるかどうか

ラストで

ゆるすべきものまで憎んだ罪、妬むべきでないものを妬んだ罪、罪のないものを自分の気ままで害そうとした罪。どれもゆるしてはならない

ってて言う部分があるんだけれどもこれって私たちにも当てはまるなと思う。誰しも自分の不幸のために周りの幸せまで呪ってしまう事はあると思う。特にみんなで分け与えるようなムラの文化ではないこの資本主義の社会においては自分だけが不幸である事が許せなくて誰か他の幸せな人間も自分と同じような目に合わせたいと考えてしまいがちだと思う。なぜなら自分が不幸な目に合っているのは自分が負けたからて言う=イコールができてしまっているから。多分ムラだったらたまたまそのようなことが起こってしまったって考えるし、何かあってもムラの人たちが助けてくれるのが当たり前の世界だからだと思う。

最後に、ポイシュマがお父さんのモナッレラを打ち落とし所は本当に泣けたしシクイルケがワカヒコを助ける部分も泣けたしムラの人たちがシクイルケがワカヒコを助けたことをなかなか理解してくれなかったところも泣けたしそれでポイシュマが出て行こうとするところにも泣けたしホムタがムラの人たちの考えを柔軟に受け入れられない所もなんかすごく悲しかったしでもホムタもただ認められたくて頑張っただけなんだなと思うと殺されてしまった場面で泣けたしシクイルケが大蛇になって言葉を失ってしまった場面にも泣けた

児童書ではあるんだけれども心境の変化とか心情とかそこは子供だましじゃなくて本当に人間らしい揺れ動きを描いていてものすごく勉強になった作品でした。絵も綺麗でこの作品に合っていて素敵だった!

ラストも夢を見させてくれる終わり方で、はるか昔のことに思いを馳せることができてロマンがあった〜!

以上!!!外伝は「商を継ぐ者」。↓