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【宮部みゆき】鳩笛草 /燔祭/朽ちてゆくため

鳩笛草/燔祭/朽ちてゆくまで

火を自在に操れたら?人の心を読めたら?未来を予知できたら?自分ならどうするのか、どんな人生を歩むのか、知りたいような気がする。

あらすじ

鳩笛草他人の心を読むことができる刑事・貴子はその能力が少しずつなくなっていくのを感じる。能力ゆえに試練に直面する貴子。刑事としての自分に悩みながら、自分自身のアイデンティティに向き合っていく。

燔祭高校生の妹を殺害された多田復讐に燃えていた。そんな多田に協力を申し出たのは念じただけで物を燃やしすことができる女性で?

朽ちてゆくまで:早くに両親を亡くし祖母と暮らしてきた智子。だが祖母も亡くなってしまい、家を手放すために整理をしていると、子どもの頃の自分が映っているビデオを見つける。どうやら自分は予知をしているようで?

 

読んでみて

3編からなっている短編集?短編と言うにはページ数が多い気がするけれど。共通しているのは超能力と葛藤不思議な力を持っていた者として、不思議な力が消えゆく者として、不思議な力を利用する者として、それぞれ異なる視点から描いている。概要だけなら似たり寄ったりというか同じように感じるけれどそれぞれ違う視点から切り込んでいるため全く違う物語になっている。ここまで違うか!と思ってしまう。宮部みゆきにとっては背景やストーリーはただの小道具なんだなあと思う。彼女が描きたいものをより一層際立たせるために必要なだけ。絶対ではない。きっと違うストーリーだったり、超能力を使わなくても表現することは可能なのだろう。ただ、小道具を使った方がより一層映えるから使う、そんなように感じられる。

どの短編が良かったは答えられない。どれもよかった。どれも違った形で良かった!ただ一番心に残っているのはやっぱり鳩笛草かなあ。一番長編だったし、最後っていうのもあるかも笑。

ということでまず鳩笛草から。


鳩笛草

鳩笛草は、他人の心を読める刑事貴子が主人公だ。彼女はもうずっと能力と一緒に生きてきたし、能力をコントロールすることもできている。だから能力は彼女にとっての一部だし、能力がない生活なんて考えられない。むしろ能力があったからこそ刑事を目指したし、刑事になることもできた。能力は彼女のアイデンティティで確固としたもの。なのにそれがちょっとずつ消えようとしている

能力という不思議な力を題材にしているけれど、貴子が感じる、喪失怯え無力感途方もなさ自分が自分でない感じ、そういうのは私たち普通の人間にも当てはまることのように思う

例えば野球少年が怪我で野球ができなくなったり仕事が生きがいだった人が仕事をやめることになったり身体の一部がなくなってしまったり、そういう時に貴子と同じように感じるのではないかと思う。

今までの自分がなくなるような、新しい自分と言っては聞こえが良いけど未知の自分になる。果たしてそれは本当に自分なのかも分からないし、自分になり得るのかも分からない今までの自分との連続性は切れて全く異なる者にならなければならない。それって果たして自分なのか?そんな自分になってまで生きている意味があるのか?私を私とたらしめていたものが消えたら、残った私はなんなのか?

そういう状態ってとても辛い。貴子は死んでも良いと思った。というか生きていられるのかも分からない状況だからというのもあるけれど。そんな絶望の中にいる貴子はどんな決断をするのか?読んでいる最中にとても気になった。中途半端な妥協とか諦めとかそういうので終わって欲しくなかった。真っ直ぐ生きてきた貴子。そんな貴子がどう選択するのか知りたかった。普通に考えたら生きるのを諦めるような気がしていた。でもそれで良いのか?という気持ちと、だからといって自分の一部だった能力がないまま生きるのに意味があるのか?という気持ちが混ざっていた。

ラストを是非読んで欲しい。さすが宮部みゆきだなあと思う。なんというか上手くまとまっている。これなら納得できる、と思えた。貴子の微妙な感情の揺れを本当に上手く表現してると思う。

もうそろそろ次にいこうかな。つぎは...

燔祭

ちょうど真ん中に入っている本作。おもしろい作風能力者である淳子は実際にはなかなか登場しない。妹を殺された被害家族である多田の視点で語られていく。彼は能力ではない。だから能力について葛藤を抱えているわけではない。でも淳子と出会って、能力を使うことには葛藤を抱えている。それは淳子よりも。でも多田の視点から描かれているので淳子とは比較できないのだけどね。

念じただけで発火する力を持つ淳子は、ゲームや漫画で言ったらS級の能力だと思う。負けることなんてないすごい力。そんな彼女が妹の仇を討ってくれるなんて願っても無い提案だし、悔しい思いをしたり、辛い思いをした人なら相手を懲らしめる力があったら...と考えたことはあるだろう。それが実際に起こったのがこの燔祭だ。

自分だったらと、自分に置き換えてみると、私は淳子に願って酷い目に合わせてやりたいと思う。それが正しいことだし、必要なことのように感じられる。でも多田は、初めは乗り気だったにも関わらず実際の能力や苦しむ加害者、そして淳子の中の加害性、そういうものを目の当たりにして単純には考えられなくなってしまう。確かにそうだろう。頭で相手を殺すのと実際に目の前で殺すのは全く違うだろう。しかも自分がその命を握っているとしたら。

でもそれと同時に多田は腰抜けのようにも感じてしまう。本当に加害者を恨んでいるのか?なら何をしてでも殺したいと思うのではないか、と。

ある意味多田にとっては良い結果になったのだと思う。自分が加わらずにを与えれたのだから。

でも孤独のヒーローがなんだか寂しく思えた。どちらが正しいのか分からない。考えさせられる作品だと思う。

つづいては...

朽ちてゆくまで

一番最初に書いてある作品。若干ホラーというか奇妙さが怖い作品。でもホラーとは違うか笑。謎が解ければ全く怖くはないのだけど!亡き両親が残したビデオは泣きながらも夢を語る自分が映っていてすごく奇妙。両親から変な実験台にされてたんじゃ?って思ってしまったよね。Netflixで観てるジェシカ・ジョーンズの影響かも笑。

残虐なことをやらされてたんじゃ?とか、本当の両親じゃなかったのでは?とか色々考えたけれど、実は智子には予知能力があったことが判明する。なぜか今はなくなっていて、そんな能力があったことする智子自身は知らなかった。

突然漫画の主人公みたいな能力が手に入ったら...?ワクワクする?ドキドキする?嬉しくなる?それとも葛藤するかもしれない。普通ではない自分に。変わってしまった自分に。自分自身のことなのに自分じゃ分からなくなる。

智子は少しずつ勘違いしてしまって、悲惨な道を選ぼうとするけれど、そのことで結局なくなっていた能力を手に入れてしまう。良い感じのところでうまい具合に終わるなぁと思う。続きが読んでみたい気がするけれど、この終わり方のままの方が良いような気もする。可能性が広がるからね。

 

終わりに

ということで3つの短編からなる小説の感想をつらつらと述べました。こういう能力のことを書いてるのに能力が中心じゃない物語を描くのがうまいと思う。他にも時代小説とかでも怖いものが出てくるのにそれが中心じゃなくて、人のあり方を描き出すのがうまい。題材は違うけどきっと宮部みゆきが書きたい根本は同じなのだなあと、なんとなく思う。でも小説家ってそういうものなのか?系統似るけどね。